県岐阜商・鍛治舎監督 公立校復権への公式は「時間改革」

[ 2018年6月27日 07:00 ]

高校野球の今、そして次の100回へ(4)

投球練習を見守る県岐阜商の鍛治舎監督(左)
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 昨夏の甲子園大会は49代表中、公立校が8校にとどまった。49代表制となった1978年以降の最少を更新し、勝ったのも2校、計3勝だけ。公立校の優勝は2007年の佐賀北が最後だ。私学優位の時流にあって、公立校トップの春夏通算87勝を誇る県岐阜商、歴代2位タイの全国優勝7度の松山商など、「復権」を目指す各校の姿を追った。

 怒声が響くグラウンド。「練習のための練習なら辞めろ!」。声の主は鍛治舎巧監督(67)だ。今年3月から母校の県岐阜商で指揮を執る。「野球人生の集大成」と位置づけ、故郷で汗を流す。

 「県岐阜商は春夏通算87勝している最強の公立校です。次の100年に向け、再生では駄目。新生なんです。古豪復活ではなく、新しい強豪校をつくる」

 春は県大会3位。100回大会の甲子園出場のチャンスは十分あり、7月14日初戦を待つ。ただ、指揮官はもっと長いスパンで先を見つめていた。

 「次の100年で(甲子園で)100勝できる基盤をつくり、若い指導者にバトンを渡す。それがふるさとと母校への恩返しです」

 選手として69年センバツに出場し、早大、松下電器(現パナソニック)で活躍。引退後は高校野球解説で名を博した。14年に秀岳館(熊本)の監督に就任し、16年春から3季連続全国4強。昨夏岐阜大会3回戦でコールド負けした母校のOB会から再建を託された。

 秀岳館での練習は1日8時間近くあったが、県立の商業高校ではそうはいかない。普段は4時間程度。テスト前やテスト期間中はさらに短くなる。そんな環境下、推し進めるのが「時間革命」だ。

 限られた時間を効率良く使う。打撃練習はマウンド付近からバックネットに向かって3カ所同時。その後方では内野ノックや外野ノックが同時に行われ、ティー打撃や筋力トレーニングなど複数班に分けて練習を回す。対外試合の相手は甲子園常連校や強豪校に変えた。より強く甲子園を意識させるためだ。

 今秋ドラフト1位候補の大阪桐蔭・根尾は岐阜出身だ。逸材が県外の私学に流出する状況を「県内に魅力的な学校がないから」だとみる。「地産地『生』」という言葉に思いを込め、「岐阜のみならず、東海地区を高校野球界の中央にしたい」と意欲。熊本で県内の指導者を集めた講習会を開いていたが、教師の異動が不可避な公立校では情報共有がより重要と考え、同様の試みをするつもりだ。

 近年、商業高校や工業高校の苦戦が続く。「うちが全国のモデル校に」と燃えている。 (吉仲 博幸)

 ◇県岐阜商 春夏4度の優勝は全て戦前。春優勝3度は2位タイ。夏は36年に初出場初優勝し、57年1回戦で清沢忠彦が無安打無得点試合。09年に県勢39年ぶりの4強。

 《夏の公立校アラカルト》

 ☆優勝回数 私立58回に対し公立は39回。松山商が優勝した96年に38回ずつで並んだが、以降21年間で公立Vは07年の佐賀北しかなく差がついた。96年松山商―熊本工は最後の公立同士の決勝。

 ☆出場校数 49代表となった78年以降、公立が最多だったのは79年の31校。箕島が池田との決勝公立対決を制し、春夏連覇を達成した。元号が平成となった89年以降は公立劣勢。私立を上回ったのは94年しかない。同年は公立の佐賀商が優勝。

 ☆商業高校 全大会に欠かさず出場。広島商が制した88年は14校を数えたが、昨夏は初めて1校(高岡商)だけに。

 ☆公立王国 徳島は23度出場の徳島商をはじめ全出場校が公立。

 ☆私立の壁 神奈川、大阪の公立校は横浜商、渋谷が出場した90年を最後に夏の甲子園が遠い。

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