【レジェンドの決断 中嶋聡1】本人も知らなかったサプライズ花道

[ 2016年1月21日 09:52 ]

昨年10月1日、本拠地最終戦セレモニーで胴上げされる中嶋

 昨年10月1日。ロッテとの本拠地最終戦、札幌ドームは3万3013人で埋まっていた。スポットライトを浴びた日本ハムの中嶋聡は照れながら頭を下げた。

 「29年間、本当に長い間、野球選手をしました。一つも悔いはありません。やり尽くしました。人に恵まれ、いろんな人と会いましたけれど、本当に感謝の気持ちでいっぱいです」

 実働29年のプロ野球記録を誇る男の引退スピーチとしては短かった。実はこの時点で、球団は中嶋の引退を発表しておらず、本人も引退を表明していなかった。それなのにセレモニーが行われた。

 最後の阪急戦士で、球団名が変わったオリックス、西武、横浜(現DeNA)でもプレー。04年から日本ハムに移籍し「抑え捕手」として06年に北海道移転後初の日本一に導き、07年からバッテリーコーチを兼任した。球団は功労者の花道を飾ろうとしたが、これを中嶋が拒否。「引退試合はやらない。セレモニーもいらない」と譲らなかった。本拠地最終戦を翌日に控えた9月30日になっても吉村浩GMは「どうなるか分からない」と困り顔。だから、栗山監督は強行突破を決断した。

 中嶋の意向を無視して、出場選手登録し、指揮官は試合直前に「どこかで使うから」とだけ伝えた。さすがの中嶋も「審判にコールされたら出るしかない」と腹をくくり、9回の守備でマスクをかぶった。結果は鍵谷、石井をリードし4失点。「こんな抑え捕手はいらんな」とつぶやいたが、場内からは割れんばかりの拍手が響いた。

 ファンはこれが中嶋の最後の勇姿と察知していたからだ。ただ、試合後の本拠地最終戦セレモニーで、栗山監督が「野球界に、チームに、大きな貢献をしてくれた。チームに迷惑を掛けたくないと言うが、そんなわけにいかない」と中嶋の引退を発表するとは、予想していなかった。

 こうなれば、中嶋も断れない。まさかのサプライズにかたくなだった男もマイクの前に立った。胴上げで3度宙にも舞った。最初はこれも拒否。グラウンドを逃げ回ったが、メジャーから古巣復帰したベテラン田中に捕獲され、後輩たちの手に身を委ねた。「全く聞いてなかった。俺だけ知らなかった」。中嶋は憎まれ口を叩きながらも、最後は笑顔だった。

 結局、正式な引退会見は11月2日。「今となってはいい区切りになったのかな」と振り返った。強肩、強打でかつて「メジャーリーグに一番近い捕手」と呼ばれた名捕手の引退には、こんな舞台裏があった。 (横市 勇)

 ◆中嶋 聡(なかじま・さとし)1969年(昭44)3月27日、秋田県生まれの46歳。秋田・鷹巣農林から86年ドラフト3位で阪急(現オリックス)に入団。西武、横浜(現DeNA)を経て04年に日本ハム移籍。07年からバッテリーコーチを兼任した。昨年4月15日のロッテ戦(札幌ドーム)出場で実働29年となり、82~10年に西武などでプレーした工藤公康(現ソフトバンク監督)に並ぶプロ野球タイ記録を樹立。通算成績は1550試合で804安打、55本塁打、349打点。1メートル82、82キロ。右投げ右打ち。

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2016年1月21日のニュース