甲子園出場を懸けて…台湾で行われた伝説の延長戦

[ 2014年9月3日 10:10 ]

 8月28日から4日間かけて戦った前代未聞の延長戦。第59回全国高校軟式野球選手権大会の準決勝戦、崇徳高(西中国地区・広島)vs中京高(東海地区・岐阜)の試合は、延長50回で中京高が勝利して決着がついた。

 硬式球を使用する甲子園大会では、1933(昭和8)年夏の準決勝で中京商(現中京大中京高)が延長25回、1-0で明石中(現明石高)にサヨナラ勝ちした試合が有名だ。試合時間は4時間55分、中京商の吉田正男投手の投じた球数は336球であった。

 この有名な延長戦とは別に、甲子園出場を懸けた地方大会で起きた死闘をご存じだろうか。延べ3日間、合計40イニングスの恐るべき試合は、日本で戦時色が濃くなった1941(昭和16)年の夏、甲子園出場を懸けた地方大会での出来事。台湾大会の台北工と嘉義農林の間で行われた試合である。今回はこの歴史的な一戦を紹介しよう。

◎とてつもない試合

 第27回全国中等学校優勝野球大会(いわゆる夏の甲子園)に出場すべく、例年通り各地方大会が行われていた。日本の統治下に置かれていた台湾でも大会は実施されており、台北一中、嘉義中、そして嘉義農林が強かった。その嘉義農林は1回戦で高雄商に10-0で圧勝。ところが、ライバル視されていた台北一中が台北工に4-3で敗れる波乱が起きた。この台北工が嘉義農林に挑んだ試合が、とてつもない試合となったのだ。

 7月26日にプレイボールがかかった台北工vs嘉義農林。両軍エースが好投し、8回まで0-0のまま試合は進む。しかし、ここで球場を大雨が襲い、引き分けとなった。翌27日の再試合も投手戦となり、無得点は続く。ところが今度は7回に再び降雨に見舞われ、またもや引き分けとなり、改めて翌日に行われる再々試合で決着をつけることになった。

◎両者譲らず

 当時はサスペンデッドゲームなどというルールはなく、1日毎に1回表から試合は再開されていた。

 ここまで8回、7回と合計15回を無得点で戦った両軍。しかし、3日目の再々試合では、台北工が3回に初めて得点を挙げた。対する嘉義農林も6回に1点を返して、同点に追いついた。その後は、これまでの試合と同じく、両軍の投手が“奮闘” して無得点が続き、再々試合は延長戦に突入。そして、決着がついたのは、なんと延長25回。嘉義農林の主将・柴田が決勝打を放って、サヨナラ勝ちを収めた。3日間に及ぶ、この熱戦の合計試合時間は5時間45分、イニングは40回に達した。

◎甲子園大会自体が中止に!

 ところが、白熱した試合に勝利した嘉義農林は勝ち進むことが出来ず、優勝したのは、もう一つの強豪チーム・嘉義中。しかし、この年は戦争の影響で大会自体が中止となってしまい、台湾代表の座を掴んだ嘉義中も、甲子園出場はならなかったのである。

 甲子園大会中止の理由は、日本及び統治下にあった各地全体に敷かれた、大規模な交通制限の影響だ。国内の鉄道輸送を兵隊と軍事物資の移動に使用するため、一般人の移動には振り分けられなかったのだ。そして1941(昭和16)年の12月8日、太平洋戦争に突入することになる。

 嘉義農林は台湾人・日本人・先住民族で構成されていた。先住民族である高砂族の選手は身体能力が高く、相当足が速かったという。野球が強かった背景には、彼らの活躍があったと言われている。また、人種の差を乗り越えて甲子園を目指した嘉義農林は、1931(昭和6)年夏の甲子園大会に初出場、そして決勝戦にも進出した。最後は中京商に敗れたが、甲子園でも人気を博したという記録が残っている。(『週刊野球太郎』編集部)(参考文献・不滅の高校野球/松尾俊治著)

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