稲葉涙の引退会見「全ての監督を胴上げしたことが自慢」

[ 2014年9月3日 05:30 ]

引退表明の会見を行った稲葉

 日本ハム・稲葉篤紀内野手(42)が2日、札幌ドームで会見し、今季限りでの現役引退を表明した。ヤクルト、日本ハムでプレーし、2012年に通算2000安打を達成したスラッガーは左膝痛から開幕前に引退を決断。プロ20年目でユニホームを脱ぐ。会見では将来的に指導者になる夢も打ち明けた。チームはクライマックスシリーズ(CS)に出場できる3位につけており、稲葉は日本一になって栗山英樹監督(53)を胴上げするために、残りのシーズンを全力で戦う。

 幼少の頃のニックネームは「泣き虫あっちゃん」。体は大きいのに気持ちが人一倍優しく、感受性も強かった。正午から始まった引退会見でも、稲葉は最初から最後まで涙をにじませていた。

 「引退に悔いはない。残りのシーズンもあるし、やり切ったとはまだ言わないが、目いっぱい努力してきたつもり」。晴れやかな表情を浮かべているのに、目だけは真っ赤に充血していた。開幕前にユニホームを脱ぐ決断を下していた。

 「引退を決めたのは春季キャンプの半ば。今年は進退を懸けて頑張ろうと自主トレから始めたが、(左)膝の具合が良くならない。体力的にもいつもやってたことについていけなくなった」。それでも、開幕直後の4月に左膝の手術を受けた。「出場選手登録を抹消し、痛みが治まって登録。また痛みが出たら抹消となってはチームにとっても良くない。手術をすれば2、3カ月で痛みがなくなる」。引退する選手が手術すること自体が異例だが、「札幌ドームで、ファンの皆さんに稲葉ジャンプを跳んでもらいたい」との思いでリハビリに取り組んだ。

 8月31日のロッテ戦(東京ドーム)前には「これでチームが一つになってくれたらいい」と首脳陣、ナイン、スタッフに引退を報告。長くチームリーダーを務めた自身の後継者には25歳の若き主砲・中田を指名し「先頭切ってやってもらいたい」と期待を寄せた。

 プロ初打席で本塁打、サイクル安打など華々しく活躍し、12年に通算2000安打を達成して名実ともにトッププレーヤーになった。さらに、ヤクルト時代も含めて7度のリーグ優勝。4度の日本一を経験。野村克也監督に始まり、5人の監督を全て優勝に導き「全ての監督を胴上げしてきたので、これだけは自慢にできるかなって思います」と胸を張った。

 将来的な希望も打ち明けた。「指導者になりたいという夢はある。野球に対して恩返ししたい。いろんな若い選手を育てたい」。まずは野球伝道師として北海道内を飛び回り、野球の底辺拡大に貢献し、最終的には日本ハムのユニホームを着るというプランだ。ただ、そんな秘めたる思いも今は封印。「日本一になって、栗山監督を胴上げして終わりたい」。残り26試合。感傷的な気分を振り切り、稲葉は涙をぬぐった。 (横市 勇)

 ◆稲葉 篤紀(いなば・あつのり)1972年(昭47)8月3日、愛知県生まれの42歳。中京(現中京大中京)から法大を経て、94年にドラフト3位でヤクルトに入団。05年にFAで日本ハムに移籍。07年に首位打者と最多安打を獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞をそれぞれ5度受賞。08年の北京五輪と09年、13年のWBCで日本代表入り。1メートル85、94キロ。左投げ左打ち。

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2014年9月3日のニュース