劇的決着!関東一、史上初の逆転サヨナラで甲子園

[ 2010年7月28日 06:00 ]

9回2死満塁、関東一・宮下のサヨナラ打で優勝を決め、大喜びの関東一ナイン

 【東東京決勝・関東一6-5修徳】第92回全国高校野球選手権大会(8月7日開幕、甲子園)の地方大会は27日、22大会で41試合が行われた。東東京大会では関東一が3―5の9回、同大会の決勝戦では史上初となる逆転サヨナラ勝ちを飾り、2年ぶり5度目の出場を決めた。また茨城大会では水城が霞ケ浦に11―0で快勝し初出場を決めた。28日は埼玉、広島など12大会で決勝が行われる。

 勝負が決した瞬間、勝者も敗者もグランドにうずくまった。互いに泣いている。死力を尽くした激闘。紙一重で制したのは関東一の方だった。
 「絶対自分に回ってくると思っていました。ここで打たなきゃ自分の仕事を果たせない。絶対に決める」。3―5の9回に同点に追いつき、なおも無死満塁の好機。中前にサヨナラ打を放った4番宮下は「ホッとして力が抜けてしまいました」。仲間の元に駆け寄ると急に力が抜けたようにしゃがみ込んだ。
 元大洋(現横浜)で外野手だった宮下正彦氏(故人)を父に持ち、1年生だった08年夏に甲子園を経験。3回戦の浦添商戦では敗れたものの代打で出場し右前打を放った。同年秋からは4番を務めるなど早くから将来を嘱望されたが、2年生の春に突然スランプに陥った。「野球が嫌で逃げ出したくなった」。高まる周囲の期待と反比例する自身の成績。大黒柱ゆえの苦悩だった。米沢監督に「もう辞めたいです」と漏らしたこともある。
 だがそんな姿がナインの結束力を高めた。本間主将は言う。「あいつばかりに頼っていられない」。以来、宮下に追いつくべく必死で練習を重ねてきた。土壇場の9回は全員で粘って同点に追いついた。同点劇に感動し、打席に入る前からネクストバッターズサークルで肩を震わせる宮下の涙をハンカチでぬぐったのは同級生の羽毛田だった。「おまえなら絶対打てる。後は頼む」。この一体感が相手より少しだけ上回った。
 OBの米沢監督にとっても感慨深い優勝だ。現役時代の93年に同じ修徳と決勝で対戦し、6―7で惜敗。9回2死二塁で見逃しの三振に倒れ、最後の打者となったのが指揮官だった。「あの試合のことは個人的なことなので気にしてなかったですけど、同級生は喜んでくれてると思います」と静かに喜びをかみしめた。
 監督も選手も互いに苦しい思いを乗り越え、ようやく手にした甲子園行きの切符。野球を続けてきて本当によかった。

 ◆宮下 明大(みやした・あきひろ)1992年(平4)4月10日、横浜市生まれの18歳。3歳から野球を始め、東小松川小では軟式野球チーム「しらさぎ」で投手。松江一中では江戸川中央シニアに所属し、3年春に全国大会に出場した。関東一1年夏からベンチ入り。秋からは4番を務める。家族は母と兄。1メートル80、84キロ。右投げ右打ち。

 ▼日本ハム・武田勝(関東一OB、96年度卒)試合途中からテレビで見ていました。最後の最後で劇的な勝ち方を見せてもらい感動しました。自分たちの時代よりも確実に力をつけている。甲子園でも優勝を狙える力を持っているので期待しています。

 ≪初の逆転サヨナラ勝ち≫74年に東西東京に分かれて以来、東東京大会決勝での逆転サヨナラ勝ちはこの日の関東一が初めて。74年以前では61年、法政一―帝京商戦で法政一が0―1の9回に2点を奪って逆転サヨナラ勝ちをしたケースがある。

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