悩める松井秀に、恩師“ア・リーグのススメ”

[ 2009年11月15日 06:00 ]

西宮伸一総領事(右)から表彰状を授与される松井秀

 ヤンキースとの4年契約を満了しフリーエージェント(FA)を申請した松井秀喜外野手(35)が13日(日本時間14日)、あらためて守備復帰を目指し、ヤ軍残留にこだわらない考えを強調した。昼にニューヨーク日本総領事公邸で在外公館長表彰を受け、夕方はドジャースのジョー・トーリ監督(69)の設立した家庭内暴力撲滅基金のパーティーに出席。かつての恩師も“DH兼外野手”復帰へ、移籍先にア・リーグを勧めた。

 FA申請後、初めて公の場に姿を現した松井の第一声は「ヤンキースの松井です、と言っていいのかちょっと分からないんですけど…」。在外公館長表彰式のあいさつでいきなり笑いを誘ったが、まんざら冗談でもない。ヤ軍との残留交渉は下交渉がすでに不調に終わり、19日の独占交渉期限内の決着は絶望的。あらためて「やっぱり必要とされるチームでやるということ。もうそれだけですよ」と残留にこだわらない姿勢を強調した。
 「(ヤ軍に)残りたいようだから、もしそうなら残れるといいね。残留しない場合もひざの問題があるからア・リーグがいいだろう」。夕方のパーティーで1年ぶりに再会したトーリ監督は、外野手で年間フル出場が求められるナ・リーグよりも、松井が現実的と考える“DH兼外野手”が可能なア・リーグ移籍を勧めた。会場では「うちに来るか?」と冗談を交わしたが、かつて信頼した勝負強さを自軍にと求めるよりも、ひざを心配した。前日にも執刀医のロデオ氏が「毎日や週4、5試合というのは問題だ。週2、3試合なら守備に就く状態へ持っていける」とナ・リーグ移籍に否定的な考えを示し、DH兼外野手へGOサインを出したばかり。大リーグでの父ともいえる恩師も同じ意見だった。
 キャッシュマンGMからは守備復帰への挑戦権すら否定され、DH専念を通告されたばかり。それでも松井は「ヤンキースの考えは考えで仕方ない。僕自身はあくまでもその(守備に戻る)努力をしていく。ただそれだけです」と変わらず外野手復帰を強く訴えた。ヤ軍側が構想を変えない限り残留交渉決裂は必至。「長引きそうなので、代理人とも意見が一致して早い時点でFAを申請しました」。移籍もにらみ交渉長期化を覚悟し、GM会議初日の9日に申請した狙いを語った。
 誰よりも松井を心配する恩師と、誰よりもひざの状態を知る執刀医の示したア・リーグ移籍への勧め。来季所属先決定へ大きな道しるべとなるのは間違いない。

 <松井と一問一答>
 ――契約問題は早く決着してほしいか?
 「それはないです。時間をかけてでもいいですし、僕自身は急いでいるということは全くない」
 ――契約で求めるものは自分の中で固まった?
 「いや、細かい部分まではまだですね。代理人とはまだ会ってません。電話やメールだけです。細かいことは伝えてません。自分の中で固まってないですから、まだ伝えようがないです」
 ――起用法以外に、生活環境は契約の条件に入ってくるか?
 「生活についてはあんまり意識していません」
 ――ヤンキースがDH専任と考えるのはある程度は予測できたか?
 「もちろんですよね。今年1年間ずっとそうだったわけですから。一番僕のことをよく知っているでしょうから。それは十分理解できます」
 ――ひざの検査は?
 「まだしてません。これから行くと思います」
 ――ロッカーを空っぽに片づけた?
 「可能性としては、戻ってこない可能性ももちろんありますから。戻ってきたらまた置けばいいだけですから」

 <退団なら「前を向く時」>昼は在ニューヨーク日本総領事館から、日米の友好親善促進に寄与したとして在外公館長表彰を受け、西宮伸一総領事から額縁に入った賞状を手渡された。夕方はトーリ監督が幼少時に体験した家庭内暴力撲滅へ設立した基金のパーティーでレッドカーペットに立ち米メディアにも囲まれた。去就についても米国人記者に突っ込まれ「気持ちの上でヤンキースというのはあるし退団となれば残念だが、それは違う意味で前を向く時だと思う」と語った。

 ◆トーリ監督と松井 松井がヤンキース入りした03年から07年まで、ヤ軍の監督と選手として固いきずなで結ばれる。日本時代から連続試合出場を続けていた松井に配慮、06年5月に骨折するまで使い続けた。不調でも「松井は特別な存在」と全幅の信頼を寄せた。トーリ監督がヤ軍監督を解任された時、松井は「トーリ監督を思う気持ちはずっと変わらない」と語った。

続きを表示

2009年11月15日のニュース