高嶋監督「感謝」トップタイの甲子園通算58勝

[ 2009年8月19日 06:00 ]

<札幌第一・智弁和歌山>9回、西川の勝ち越しタイムリーに大喜びの智弁和歌山・高嶋監督(右端)

 第91回全国高校野球選手権大会は18日、甲子園球場で2回戦3試合が行われ、第3試合で智弁和歌山が札幌一に逆転勝ちを収め、高嶋仁監督(63)は春夏の甲子園大会で通算58勝となり、PL学園(大阪)の中村順司元監督(63=名商大監督)が持つ歴代1位に並んだ。高嶋監督は智弁学園(奈良)時代を含めセンバツで23勝し、選手権大会では今大会の2勝を含めて35勝。20日の3回戦・都城商(宮崎)戦で単独1位を狙う。

【日程と結果


 底力を発揮しての土壇場の逆転劇。歴代1位タイとなる甲子園通算58勝目を手にした高嶋監督は「全然実感がない。選手には感謝して、ありがとうと言いたい」と、かみしめるように話した。

 苦しい展開だった。指揮官がつくり上げた「岡田中心の守りのチーム」が4失策を犯し、エースは4回までに5点を失った。流れを変えたのは、やはり自らの選手起用だった。7回に代打攻勢をかける。1死一、三塁から三宅の打球が敵失を誘って2点差。さらに続く左向(さこう)の中前適時打で1点差に詰め寄った。野手は2年生主体。左向は言う。「やっと仕事ができました。3年生を使ったのは“意地を見せろ”ということだと思います」。勢いは止まらない。9回は1死二塁から、7回の守備から三塁に入っていたこれも3年生の喜多が「昨年のセンバツで代打出場した時は三振したので、その借りを返したかった」と左中間を破る同点二塁打を放った。

 実は名将らしからぬミスを犯していた。事前に通達していたのは三宅→喜多→左向の起用順。しかし、「喜多をベンチ裏でスイングさせているのを忘れていた」と、三塁コーチを務めていた左向を先に起用してしまった。しかし、それが的中するのだから、強運も持ち合わせている。

 昨年9月に部員への暴力で3カ月間の謹慎処分を受けた。その間、白装束のお遍路さんになり四国一周をした。煩悩を消すはずが「野球のことばかり考えていました」。根っからの野球の虫。この夏、勝利はまだ上積みできる。

 ▼名商大中村順司監督(PL学園元監督) 記録というのはいつか超されるもの。時間の問題だと思っていました。選手が一生懸命やってくれた結果。ほかの監督にとっても目標になるでしょう。

 ◆高嶋 仁(たかしま・ひとし)1946年(昭21)5月30日、長崎県出身の63歳。長崎海星では投手兼外野手。63、64年夏に甲子園出場。日体大では外野手。72年に智弁学園(奈良)の監督に就任。智弁学園では春夏3度甲子園に出場し、4強と8強を1回ずつ。80年に智弁和歌山の監督に就任。以後、甲子園に春夏25回出場し、優勝は春1回、夏2回、準優勝は春2回、夏1回。家族は妻と一男一女。長男の茂雄さん(34)は智弁和歌山で父とともに91年夏、92年夏に甲子園出場。

 ≪岡田 今夏初失点も逆転勝利に感謝≫智弁和歌山の岡田が今夏、初失点した。2回に自らの野選などでピンチを広げ暴投で先制点を奪われると、4回までに計5失点。和歌山大会の準々決勝から甲子園初戦の滋賀学園戦まで4試合連続完封するなど連続無失点は41回1/3だった左腕がもがき苦しんだ。それでも打線の援護でチームは逆転勝利。「いつもおまけで完封しているようなもの。相手はよく研究してきた。今年のチームは打てないと言われたが、やっとみんながうっぷんを晴らしてくれた」と野手に感謝していた。

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2009年8月19日のニュース