門田博光さん死去、74歳 44歳までプレー元南海の大砲 歴代3位567発 引退後に糖尿病悪化、脳梗塞

[ 2023年1月24日 19:28 ]

1988年、南海時代の門田氏
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 南海、オリックス、ダイエーでプレーし、プロ野球歴代3位の通算567本塁打をマークした門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳。和製大砲として44歳までプレーし、通算1678打点も歴代3位。太くて長い野球人生を歩んだ偉大な打者が静かにこの世を去った。

 本塁打にこだわり続け、フルスイングが最大の魅力だった。南海入団2年目の71年に31本塁打。同時に120打点で初のタイトルとなる打点王に輝いた。12年連続を含む20度のシーズン2桁本塁打。わずか2発に終わったのが79年だったが、アキレス腱断裂という大ケガから不死鳥のごとくよみがえった。

 断裂したのは79年2月の高知・大方キャンプ。全治6カ月で、当時は現役復帰は難しいのではとささやかれた。同年はほぼ治療に専念。翌80年に41本塁打を放ってカムバック賞に輝いた。40歳シーズンとなった88年には本塁打、打点の2冠を獲得。40歳でのMVP、本塁打王、打点王はいずれも歴代最年長だった。門田氏の活躍で「不惑」との言葉が流行語になったほどだ。同年オフに南海がダイエーに買収されて本拠地が福岡に移転となったが、子煩悩だった門田氏は単身赴任を嫌い、同じ大阪のオリックスへトレードで移籍。子供が進学するまで見守り、91年には愛着の深い古巣のダイエーに移籍した逸話を持つ。

 現役引退後の93年に持病の糖尿病が悪化。右足が不自由となり手術を受けた。05年暮れには脳梗塞で倒れたが、翌06年1月に野球殿堂入り。晴れ姿を見せ「最高の賞をいただいて舞い上がっている。これで人生の終着駅に来たのかなあ…という気もする」などとコメントした。


 門田 博光(かどた・ひろみつ)1948年(昭23)2月26日生まれ、山口県出身。天理では3年夏の甲子園に出場。社会人のクラレ岡山を経て69年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。本塁打王3度、打点王2度。88年には史上最年長の40歳でMVPに輝いた。ベストナイン7度。オリックス、ダイエーでもプレーし92年に44歳で現役引退。通算567本塁打、1678打点はいずれもプロ野球歴代3位。06年に野球殿堂入り。左投げ左打ち。

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