田淵幸一氏 本塁打王を争った戦友・門田さんの悲報に「本当のプロフェッショナルだった」「非常に残念」

[ 2023年1月24日 21:10 ]

田淵幸一氏
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 南海、オリックス、ダイエーでプレーし、プロ野球歴代3位の通算567本塁打をマークした門田博光(かどた・ひろみつ)氏が亡くなったことが24日、分かった。74歳。和製大砲として44歳までプレーし、通算1678打点も歴代3位。太くて長い野球人生を歩んだ偉大な打者が静かにこの世を去った。

 同時代を駆け抜けた田淵幸一氏(76、スポニチ評論家)が、プロ野球の歴史に残る「和製大砲」門田さんの死を悼んだ。


 門田博光は本当のプロフェッショナルだった。打撃フォームには無駄な動きながなく、最短距離でバットを出す。非常に思い切りのいい打者だった。私が阪神から西武に移籍したのが79年。やはりパ・リーグにも凄い打者がいた。門田とはその後、何度も本塁打王の座を争った。

 80年は私が43本で門田が41本。タイトルは48本のマニエル(近鉄)だった。83年は私が7月13日の時点で29本でリーグトップ。門田とは9本差だった。しかし同日の近鉄戦で死球を受けて左手首を骨折。長期離脱を余儀なくされ、結局40本の門田にタイトルをさらわれた。悔しかったね。こいつには絶対に負けられない――。お互い、ホームラン打者としての意地があった。

 そんな長距離砲を私がダイエー監督時代の91年にチームに呼んだ。翌92年にはブーマーが加入。当時は投手力が弱く、打てるチームをつくりたかった。フリー打撃では通常の位置より前から投手に投げさせて、速いボールを打つ練習を繰り返していた。落合博満は逆に緩いボールを打つ。同じスラッガーでも両極端なのが面白かった。

 長く糖尿病にも苦しめられたが、現役の頃から炭酸飲料が大好きで、地方に行ったらホテルの各部屋の炭酸飲料を全部飲み干した、などという話も聞いた。それでもメリハリはきっちりしており、オフに体重が増えたとしても食事療法で落とす。卵ダイエットもやって痩せていた。表に出るのが苦手で普段から口数が少なく、余計なことは言わない男。野球に対して追求する姿勢はもの凄かったのを覚えている。

 奇しくも私がダイエー監督を退任した92年に彼も44歳で現役を引退した。突然の訃報は非常に残念だ。門田博光という大打者の名前、そして記憶を、私は決して忘れない。(本紙評論家)

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