阪神・岡田監督が「今更」ながら語るバース氏の凄さ「ほっといても勝手に打ちよる。一番、楽やんか」

[ 2023年1月14日 05:25 ]

阪神のランディ・バースがバックスクリーン弾を放つとベンチも大盛り上がり
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 阪神で2度の3冠王に輝いたバース氏が殿堂入りしたことを受け、現役時代は猛虎打線の中軸を担った阪神の岡田彰布監督(65)が、「今更かなあ」と語り、“もっと早く選ばれても良かった”という意味を込めた独特の表現で祝福した。同時に、「史上最強の助っ人」と呼ばれるようになった成功の要因を2つ挙げた。

 バース氏との思い出は尽きない。グラウンドではクリーンアップを組み、85年に日本一を味わった。伝説の3連発も打った。ロッカールームでは2人きりで将棋盤にも向き合った。同氏の殿堂入りの吉報を聞いた岡田監督は日本球界で成功を収めた2つのポイントを挙げた。

 「まず、1キロくらいのバットを振れるのは、すごいことやんか。だから、バットにボールが乗るんやで。(一般的な)900グラムじゃあ、あまり乗せられへん。今と比べたらボールも飛ばんしな」

 浜風に乗せた左方向への打撃が称えられがちだが、その技術は、並外れたパワーがあったからこそ可能だったと強調した。もちろん、体の力だけではない。内面にこそ、史上最強の助っ人と呼ばれるまでになった要因があると、分析した。

 「向こう(メジャー)ですごい成績の選手じゃなかったから良かったんちゃう?日本で稼ぐというか、ハングリーなところがあったよな」

 来日1年目の83年は、同時加入のストローターの方が評価が上だったという。「地球の4分の3を守れるという(触れ込みの)センターな。バースはその2番手みたいな形で」。ところが、ストローターが同年の途中で帰国。バース氏は複数年にわたって打ちに打った。「最初はクロスに構えていたけど、打つようになった時はオープン(スタンス)にしていたよな。自分で考えたんやろな。左ピッチャー対策で」。創意工夫の精神にも富んでいたのだ。

 盟友の受賞を、「あの成績からいくと、今更かなというのはあるな。まあ、阪神で唯一の日本一のメンバーやし、そのときの3冠王だし。貢献度というか、すごいインパクトがあったから」と祝福しつつ、新シーズンにも目を向けた。「バースはほっといても勝手に打ちよる。(策を用いず)勝手に打ってくれるのが一番、楽やんか」。岡田阪神には新外国人のノイジーとミエセスが加入。「勝手に打つ」ほど暴れてくれればアレ(優勝)に近づくのが確実ながら、バース級の活躍は簡単ではないことを、一番、分かっていた。(倉世古 洋平)

 ▽85年の阪神 吉田義男監督の下で強力打線が爆発。3冠王になったバースの54本塁打を筆頭に掛布雅之40本塁打、岡田彰布35本塁打、真弓明信34本塁打と30発カルテットを形成した。チーム本塁打はリーグ断トツの219本。投手陣も先発のゲイル13勝、中田良弘12勝、抑えの中西清起11勝と3人が2桁勝利。74勝49敗7分け、勝率・602で広島に7ゲーム差をつけて64年以来21年ぶりのリーグ優勝。日本シリーズは西武を4勝2敗で下し2リーグ制後初の日本一に輝いた。

《吉田義男氏が祝辞 日本一への貢献大》
 バース氏の殿堂入り通知式では85年の日本一監督・吉田義男氏(89)がゲストスピーカーとして出席し、かつての主砲を祝福した。「ランディとの思い出は数多い。何といっても85年のリーグ優勝と日本一は彼がいなければありえなかった。感謝しています。巨人戦でのバックスクリーン3連発が大きな自信となった」と存在が大きかったと強調。2年連続3冠王を含め「期間は短かったが、非常に日本の野球に貢献した選手だ」と殿堂の先輩としても高く評価した。そして「苦楽をともにした岡田が監督をするので、米国から応援していただきたい」とメッセージを送った。

《和田2軍監督も祝福「野球の頭脳たけていた」》
 阪神の和田豊2軍監督もバース氏の殿堂入りを喜んだ。「選ばれてしかるべき選手。野球の頭脳がたけていて、賢く配球を読んだり、日本の野球に慣れようとしていた」。バース氏が初の3冠王に輝き、チームも優勝を果たした85年当時、和田2軍監督はまだ入団1年目のルーキーだった。自身も同年は39試合に出場したが、当然バース氏の存在感は別格。「雲の上の選手だったけど、すごく参考になった」と回想した。

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2023年1月14日のニュース