バース氏の獲得交渉担当・本多達也氏が明かす3つの秘話(1)戦力外の危機(2)驚異の観察力 そして―

[ 2023年1月14日 07:30 ]

バース(左)と本多達也氏

 バース氏の獲得交渉を担当し通訳も務め、この日もバース氏が感謝のメッセージを送った元阪神編成部・本多達也氏(65)が、今だから明かせる秘話を本紙に語った。

 (1)戦力外の危機が毎年あった 85年の日本一への貢献、そして3冠王という大ブレークの前のバース氏は戦力外の危機を紙一重で切り抜けるという外国人選手だった。「(来日)1年目の83年が一番危なかった。骨折もあって、開幕から調子が上がらなかった。加えて投手を補強することになってバースと(外国人野手の)ストローターのどちらかを切るという流れになった。伸びしろがあると思われていたストローターだが、そのころに自打球で故障したから、バースは助かった。84年のオフも本塁打が減ったことで解雇が検討された。クビにしていたら、バースの人生も阪神の歴史も変わっていた。こんな流れがあったからこそ、彼も真剣に日本の野球に向き合ったと思う」と2年間の辛抱が85年につながったと分析した。

 (2)3冠王の秘密は驚異の観察力 「(来日)3年目の85年にはセの主力投手の傾向と対策は完全に頭に入っていた」と証言した。加えてバッテリー間は18・44メートル離れていても、投手の微妙な癖をしっかり見抜いていた。「グラブの開き具合、手首の傾きとか、細かいところで球種を見抜いていた。味方の選手に教えてあげても、誰も分からない。そのくらいのレベル。眼力が桁違いだった」と打ち明けた。

 (3)球団社長指令は「何としてでも連れ戻せ」 バース氏と阪神の悲劇は88年の長男の水頭症発病が発端だった。生命の危険もあり、米国での治療を始める中、当時の球団社長は本多氏に「戻ってくるように説得しろ」の密命を与えた。だが、サンフランシスコにあった病院の近くに家を借り、治療に付き添うバース氏の憔悴(しょうすい)しきった姿に「戻ってこい、とは、よう言えなかった」と当時の胸中を吐露。解雇、そして治療費を巡る弁護士との争い(示談で阪神が和解金を支払うことで決着)にならなければ、治療後の現場復帰、指導者としての道も残ったのでは、と振り返った。

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