阪神ドラ5・戸井 国際大会で芽生えたプロへの憧れ胸に「天国から応援してな」亡き祖父との約束果たした

[ 2022年12月7日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」 ドラ5、天理・戸井(下)

第4回WBSC U-12ワールドカップでベストナインと首位打者を獲得した戸井(左)(家族提供)
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 阪神・ドラフト5位の天理・戸井零士がプロを意識するようになったのは中学1年の頃だった。国際大会を経験したことで心境に変化が生まれた。

 「トライアウトに合格して日本代表で世界大会に行けて、楽しかった。もっと(上に)いけると自信になった。大きな舞台で野球がしたいとプロへの憧れが強くなった」

 きっかけは17年に台湾で開催された「第4回WBSC U―12ワールドカップ」だった。日本代表として出場した初の世界の舞台で驚異の成績を残した。主に外野手として8試合に出場して17打数12安打、打率・706、1本塁打、7打点と大活躍。チームは4位に終わったが、個人では外野手部門のベストナインと首位打者の2冠に輝いた。

 確かな手応えと自信をつかんでから2年後のこと。零士を、さらに奮起させる出来事が起こった。中学3年の秋。19年10月に祖父の英男さんが誤嚥(ごえん)性肺炎で急死した。野球を始めるきっかけをつくってくれた最愛の人との突然の別れにショックを受けながら、葬儀では最後の約束を交わした。「おじいちゃんと約束したプロ野球選手の夢を絶対にかなえるから、ずっと天国から応援してな」。プロ野球選手になることを誓い、その思いを書き記した手紙を参列者の前で読み上げ、最後は棺に納めた。

 夢を実現させるために選んだ道は、名門・天理への進学だった。入学直後から「練習量だけは誰にも負けないようにやろう」と毎朝5時に起床して、登校時間のぎりぎりまでバットを振ることが日課だった。平日は約4時間の練習後も消灯時間の23時まで汗を流した。そんな努力が実り、1年秋から背番号5を背負い、三塁のレギュラーもつかんだ。

 「先輩たちに認めてほしいという思いがあった」

 しかし、高校生活は決して順風満帆ではなかった。2年春の選抜でチームはベスト4に輝きながらも、個人成績は11打数1安打で打率・091。続く2年夏は県大会準決勝で敗退し、甲子園の土を踏むことはできなかった。2年秋に実施された部内の進路調査では「プロ志望」と記したが、プロ経験もある天理の中村良二監督からは「今の状態では、プロにはなれん」と厳しい言葉をかけられ、3年春まで大学への進学を勧められた。

 「このままではいけない…」

 もう一度、自らを奮い立たせ、2年秋からは課題に掲げた打撃に時間を割いて、練習を積んだ。そして集大成の3年夏の甲子園では計2試合で8打数4安打と結果を残し、今秋のドラフト会議で阪神から5位指名された。「本当にここからが勝負。おじいちゃんがずっと好きだった阪神で野球ができるのも、何かの縁を感じるので、1軍で活躍できるように頑張りたい」。祖父との約束は果たした。ただ、猛虎の一員となる零士の夢は続く。(長谷川 凡記)

 ◇戸井 零士(とい・れいじ)2005年(平17)1月18日生まれ、大阪府松原市出身の17歳。市立中央小時代から松原ボーイズに所属。松原第三中1年時に侍ジャパンU―12の一員としてW杯に出場し首位打者を獲得。天理では1年秋からベンチ入り。高校通算13本塁打。1メートル81、83キロ。右投げ右打ち。

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