阪神ドラ1・森下翔太 「絶対プロ野球選手になる」ために…戦国東都で鍛えたメンタル

[ 2022年11月29日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」ドラ1、中大・森下(5)

19年5月、亜大戦で逆転3ランを放った中大・森下(右)

 東都大学野球リーグで過ごした4年間が、翔太を大きく成長させた。「絶対プロ野球選手になる」。そう意気込んで進学したのは、名門・中大だった。

 スタートはすこぶる順調だった。清水達也監督(58)から「入学時からプロに行ける逸材。バットが強く振れて逆方向に飛ばせる」と見込まれたこともあり、入学早々の1年春から主軸に抜てきされた。

 大器の片りんを見せたのは、亜大との第4戦だった。「5番・右翼」で出場すると、1点劣勢の6回1死一、二塁から左翼席へ逆転の3ラン。記念すべきリーグ戦1号は、1学年上の岡留英貴から放ったものだった。来季から阪神で同僚となる右腕は「今でも鮮明に覚えています。外角のスライダーをあそこまで持っていかれたのは初めてだったので…」と述懐する。14試合に出場し、打率・306、2本塁打、9打点。2学年先輩の牧秀悟とともにベストナインにも選出された。

 だが、戦国東都は、甘くはなかった。早くから頭角を現した翔太には、他大学による徹底マークが待っていた。比例するかのように、成績は下降の一途。2年秋、3年春はいずれも打率1割台にまで落ち込んだ。

 悩める翔太に対し、清水監督の指導方針がぶれることは一切なかった。伝えられたのは「打てなくても態度に出すな」の一点のみ。技術指導を施されるのではなく、メンタル面での成長を促され続けた。清水監督は意図を次のように明かす。

 「東都というのはやっぱり、負けたら入れ替え戦とか2部に落ちるというプレッシャーがあったと思う。野球選手は試合に出続けないとうまくならない。それだけの素材というか、プロに行ける子だと思っていたから」

 最上級生になり副主将に任命されると、後輩を指導する姿も目立つようになってきた。プレーでけん引することに加え、周囲に掛ける言葉にも変化が見られた。清水監督が我慢強く起用したかいもあって、4年春には打率・311、2本塁打、11打点で2度目のベストナインを獲得。今秋の1本を加え通算9本塁打を積み重ねた。

 「高いレベルの中で緊迫したゲーム、絶対に負けられないゲームというものを経験できました」

 打てなくても、うつむく姿はもう、どこにもない。中学時代から指摘された心の成長が、プロへの道を切り開いた。充実した心技体で、猛虎に新風を吹かす。(石崎 祥平)

 ◇森下 翔太(もりした・しょうた)2000年(平12)8月14日生まれ、神奈川県横浜市出身の22歳。小1で野球を始め日限山中では「戸塚シニア」でプレー。東海大相模では1年夏から中堅手としてベンチ入りし、3年春に選抜出場。中大では1年春、4年春にベストナイン。1メートル82、90キロ。右投げ右打ち。

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