【箱根駅伝】苦難の道のりを駆けてきた4年生へ

[ 2024年1月3日 18:15 ]

第100回東京箱根間往復大学駅伝 復路 ( 2024年1月3日    神奈川・箱根町~東京・大手町 5区間109・6キロ )

記念撮影する青学大の選手たち。(前列左から)荒巻、黒田、太田、佐藤、若林、(後列同)野村、山内、原監督、塩出、倉本、宇田川。佐藤、山内、倉本が4年生(撮影・木村 揚輔)
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 1920年から歴史を紡ぎ、第100回の大きな節目を迎えた箱根駅伝は、青学大の圧倒的な強さで幕を閉じた。

 個人的に注目していたのは、4年生の走りだった。

 20年4月に入学した現4年生は、新型コロナウイルスの脅威が常につきまとった。入学早々の緊急事態宣言。スポーツ界も大きな影響を受けた。箱根駅伝も応援自粛が求められ、観衆は激減した。

 メモリアルの今大会。ようやく応援に対する制限が解かれたが、元日に能登半島地震が発生。開催を危ぶむ声もあった中、箱根路を駆ける機会は与えられた。

 往路優勝後に続き総合優勝後も、青学大の原監督の口から出たのは感謝の弁だった。

 「1月1日、能登震災において、本来であればお正月は家族団らんで、おせちやお雑煮を食べながら2、3日箱根駅伝をご覧いただける方、数多くいらっしゃったんだと思う。しかし、あのような災害の中で今でも苦しまれている方がいらっしゃる。そんな中での箱根駅伝、開催させていただいたことに対して、まずもってお礼を申し上げたい。ありがとうございました」

 コロナ禍だった時期と同様、ランナーにも葛藤があったであろうことは想像に難くない。当事者ではない「誰か」の声に心をえぐられたかもしれない。それでも、タスキとともに懸命に駆けた。

 青学大で9区区間賞を獲得した倉本玄太(4年)は、「最初で最後の箱根を区間賞で終われて良かった。もがき苦しんだ4年間だったけど、諦めずにやってきて良かった」と胸を張る。

 山上り5区で区間新をマークした城西大の山本唯翔(4年)は、新潟県出身。親族は地震の被害はなかったとした上で「大変な思いをした皆さんに、勇気や希望を与える走りができたんじゃないかな」と話した。

 今大会に出場した230選手中、4年生は往路46人、復路28人の計74人。自身の走りに納得できた選手がいれば、失意の選手もいるだろう。メンバーから外れた選手も、夢舞台に届かなかった選手も。

 競技内外で全力を尽くした4年生に伝えたい。

 胸を張ろう、これまで駆けてきた道のりに。

 そして、これから駆ける未来に、幸あれ。

(元陸上担当・杉本 亮輔)

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