【阪神大震災28年】元木由記雄氏 周囲の支えで“頑張りたい”と思えた 今も胸に刻む感謝の気持ち

[ 2023年1月17日 06:00 ]

95年4月7日、積まれたガレキをバックに灘浜グラウンドでチーム練習を始めた神戸製鋼の選手たち
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 阪神大震災から28年が経過した。震災当時はラグビー神戸製鋼に所属、現在は京産大ラグビー部GMを務める元木由記雄氏(51)も「1・17」に思いをはせた。

 95年1月17日の早朝、入社1年目だった元木は東京駅にいた。国立競技場で行われた日本選手権決勝は神戸製鋼が102―14で大東大を下し、7連覇を達成。元木は知人と会うために都内にとどまり、2日後に神戸へ戻る予定だった。だが、午前6時過ぎに東京駅を出発するはずの新幹線は止まっていた。

 「地震で動いていなくて、知り合いの家に行ってテレビをつけたら、神戸が燃えているんですよね。選手寮の近くの阪神高速も倒れていて、見ながら震えました」

 数週間後、新大阪まで開通した新幹線に乗り、神戸へ向かった。ひびが入った寮に着いて自室に入ると、テレビがベッドの枕元に転がっていた。2月に入り、総務部で働いていた元木は全壊した本社へ。仮設社屋へ書類を運ぶためだったが、自身のデスク周りを見て衝撃を受けた。

 「机に上の壁が崩れて落ちていたんですよ。昼間で会社にいたら、もうだめでした」

 厳しい社会情勢でも、会社はラグビー部の活動継続を決断した。灘浜グラウンドは液状化現象でほぼ使えず、市営グラウンドを転々とした。「こんな状況でラグビーをやっていいのか」――。複雑な感情をかき消してくれたのが、周囲の支えだった。

 「自分の家が壊れている人も多いのに、会えば“頑張ってくださいね”と。こんな状況でも応援してくれることに対して“頑張りたい”と強く思ったことを覚えています」

 今、胸に刻み続けるのが周りへの感謝。その思いとともに、これからもラグビー界を支えていく。(西海 康平)

 ◇元木 由記雄(もとき・ゆきお)1971年(昭46)8月27日生まれ、東大阪市出身の51歳。大工大高(現常翔学園)から明大に進み、94年に神戸製鋼へ入社。W杯は4大会連続でメンバー入り。日本代表として79試合出場。10年に引退し、U―20日本代表ヘッドコーチや神戸製鋼アドバイザーなどを経て、13年に京産大のバックスコーチに就任。ヘッドコーチを経て20年にGM就任。

 《動画配信で歴史紡ぐ》リーグワン神戸は、きょう17日の午前5時46分から公式YouTubeやSNSで動画を配信する。阪神大震災で被災した企業、チームとして、震災の記憶を風化させず歴史を紡ぐ意味を込めて19年度から開始。今回は「忘れないでいよう。語り継いでいこう。僕らの“神戸”で起きたことを」という思いとともに、日本代表SO李承信や同FB山中亮平らが神戸の街を巡っている。

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2023年1月17日のニュース