陵侑 銀メダル!1回目最長不倒142メートルも…切り替え団体戦へ「ビッグジャンプを」

[ 2022年2月13日 05:30 ]

北京冬季五輪第9日・ジャンプ男子個人ラージヒル ( 2022年2月12日    国家ジャンプセンター )

北京五輪 ジャンプ男子ラージヒルで銀メダルの小林陵侑(撮影・小海途 良幹)
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 男子個人ラージヒル(LH)は小林陵侑(25=土屋ホーム)が1本目142メートル、2本目138メートル、合計292・8点で、金メダルを獲得した個人ノーマルヒル(NH)に続き、今大会2つ目のメダルとなる銀メダルを獲得した。ジャンプ日本勢初の個人2冠は惜しくも逃したものの、日本のジャンプ史に新たな金字塔を打ち立てた。今大会最終種目となる14日の男子団体では、3つ目のメダル獲得を目指す。

 うれしさと悔しさが入り交じった。2回目に138メートルを飛び終え、今できる会心のジャンプに雄叫びを上げた。兄・潤志郎らとスクリーンを見つめ、2位が決まると仲間とグータッチ。1回目2位のリンビクに逆転を許したが、堂々の銀メダル。ジャンプ個人2種目でのメダルは98年長野大会の船木和喜(NH銀、LH金)以来となる日本人2人目の快挙となった。

 「凄くうれしい気持ちと、金メダルを逃したことにちょっと悔しい気持ちだが、2本ともいいパフォーマンスはできた。五輪は相性がいい。日本でも楽しんでもらえた人が多いと思う」。個人ノーマルヒルでは「五輪の魔物は?」の問いに「僕が魔物」と答えたが、「今日の魔物はリンビクだった」と笑った。

 1回目ヒルサイズ(140メートル)を超える最長不倒の142メートルで首位。NHに続きトップで2回目を迎えると、前を飛んだリンビクが140メートルを飛んで、スタート位置の小林陵にも大歓声が聞こえた。「飛距離は見てなかったが、下が沸いていたのでいったんだなと思った」。それでも2回目は冷静に138メートルまで飛距離を伸ばし「自分のジャンプはできた」と胸を張った。

 6日の個人NHでまず1冠。2冠に向け「またメダルを目指して頑張りたい」と決意を新たにした。惜しくも4位だった混合団体では、スーツの規定違反で1本目が失格となった高梨沙羅(クラレ)を励まし、2本の大ジャンプをそろえた。名実ともに日本ジャンプ界の顔となり、2冠こそ逃したが、揺るぎない自信と安定感で2つ目のメダルを手にした。

 18年オフに覚醒のきっかけをつかんだ。脳波トレーニングに取り組み緊張しやすかったメンタルを強化。夏のスロベニア合宿では所属の葛西紀明兼任監督から「長く踏み続けて飛べ」と踏み切りの極意を伝授され、感覚派の天才は圧倒的な飛距離を手にした。本格的なフィジカルトレーニングにも着手。理想のフォームをつくり上げ、18~19年シーズンンに欧州勢以外で初のW杯総合優勝を果たすなど世界の陵侑となった。

 2大会ぶりのメダルを目指す男子団体でも、エースのジャンプが鍵を握る。「団体戦でもビッグジャンプを見せたい」。陵侑の伝説はまだまだ先がある。 

 ▼笠谷幸生さん(1972年札幌五輪の70メートル級に勝った後、90メートル級は7位で2冠を逃す) なかなかうまくいかないものだ。これがジャンプだね。1回目は良かったけど、圧倒的ではなかった。いやあ、難しい台だな。でもご苦労さんだ。よく頑張った。次(4年後)も頑張ってほしい。今の力を維持するのは大変だけど、楽しんでやってほしい。

 【小林 陵侑(こばやし・りょうゆう)】

 ☆生まれ、サイズ 1996年(平8)11月8日生まれ、岩手県八幡平市出身の25歳。1メートル74、59キロ。

 ☆スキー一家 父・宏典さんは元クロスカントリースキー選手。2大会連続五輪代表の兄・潤志郎(雪印メグミルク)、姉・諭果(CHINTAI)、弟・龍尚(土屋ホーム)もジャンプ選手。

 ☆名前 「陵侑」。両親は「小高い丘、高い位置から物事を見て、懐深く生きてもらいたい」という意味を込めて名付けた。陵侑自身は「名前を書くのが大変だったけど、インパクトがあって凄くいい」と気に入っている。

 ☆競技歴 小学3年から本格的にジャンプを始める。盛岡中央高まで複合選手。15年土屋ホーム入社後、ジャンプに専念。W杯デビュー戦の16年1月ザコパネ大会(ポーランド)で7位。

 ☆趣味 車、スニーカー集め、洋服、音楽、YouTube。

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