開会式の前から始まっている選手のドラマ 試される五輪の立ち位置

[ 2022年2月4日 09:43 ]

1日の練習で転倒して顔面を強打した米国のカイ・オーウェンス(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】3日に行われた北京冬季五輪のスキー女子モーグルの予選1回戦。日本の星野純子(32)のひとつ前となる7番目に滑る選手がスタート地点にいなかった。実況していたNHKのアナウンサーは「ここはアメリカのカイ・オーウェンスだったはずですがどうしたのでしょう?」と姿なき米国代表の動向に戸惑っていたようだが、彼女は1日の練習で転倒して顔面を強打。ニューヨーク・ポスト紙などの米国の複数のメディアは左目の横が黒ずんだ顔の写真を紹介していた。

 おそらくその負傷が欠場の原因だと思われるが、米国のメディアが彼女に注目していた理由は、17歳の若手のホープとしての期待度だけでなく、その“生い立ち”にあった。

 米国スキー・スノーボート連盟の代表チームのプロフィールには2004年8月16日生まれとなっているが、それを本当に証明してくれる両親が彼女にはいない。なぜなら生まれたのは中国・上海の西部に位置している安徽省。生後16カ月で町の広場の片隅に独りぼっちとなっていたのが未来の米国代表の“原点”だった。

 実の親による育児放棄の結果、孤児院での生活がスタート。幸い、2005年10月10日、米コロラド州在住のオーウェンス夫妻との養子縁組が成立し、それまでとは違った生活が始まった。育ったのは同州デンバーの西100キロにある人口5000人ほどのベールという町。そこはスキー・リゾート地でもあり、ウインタースポーツに熱中する環境は整っていた。

 「自分のスキーが中国の雪に触れたとたん、なにか特別な気分になりました。私の人生が別な部分で動きだした感じ。とても楽しみです」。養子縁組がなければ冬季五輪の代表選手になれたどうかはわからない。北京入りしたときオーウェンスは“母国”への熱い思いを口にしていたが、ケガで競技初日に出場できなかったことはさぞかし無念だった思う。

 フィギュア・スケート女子に米国代表として出場するアリサ・リュウ(16)には「劉美賢」という中国名がある。父は四川省の出身の弁護士で、リュウ本人の出身地はカリフォルニア州フレズノ郊外のクロービス。ただし母は匿名の卵子提供者で、代理母を通しての出産というプロフィールが各メディアで紹介されている。最先端の医療が授けた命、そして舞台は中国…。彼女もオーウェンス同様、自身のルーツを探す旅を今大会で経験している。

 開会式が始まる前から新型コロナウイルスの影響が押し寄せている。北米アイスホッケーリーグ(NHL)のボストン・ブルーインズ一筋に15シーズン在籍し、その王座を決めるスタンレー杯決勝で2011年に優勝メンバーとなっていたチェコ代表のFW、デビッド・クレイチ(35)は北京入りしてすぐに検査で陽性反応が出たためにチームを離れた。無症状なので2度陰性になれば試合には出場できるが、現時点では微妙な状況。今大会では感染の影響でNHL側は選手の派遣を見送ったが、クレイチは昨季限りでブルーインズを離れ、チェコの国内リーグでプレーしていたために五輪参加はOK。北京五輪に出場するNHL経験者としては最高のプレーヤーとして注目されているが、すでに大きな難題と直面している。

 ドイツのフィギュアスケート・ペアの代表だったノーラン・ジーゲルト(29)も到着時と検査で陽性反応を示したために北京市内のホテルに隔離された。パートナーのミネルバ・ファビアン・ハーゼ(22)も濃厚接触者と認定されて隔離。ドイツは4日に行われる団体にエントリーしているが、1組しかいないペアの2選手が出場できなくなった。

 アイスホッケー女子で五輪連覇を狙っている米国は3日のフィンランド戦で5―2で勝って白星発進。しかし副主将を務めているFWのブリアナ・デッカー(30)は泣きながらリンクをあとにしている。第1Pに相手選手と衝突した際に左脚を負傷。自分の体重をかけられなくなったその脚の状態が何を意味しているのかを悟ったのだろう。それを見たチームメートが奮起して勝ったことがなによりの励ましになったと思うが、心の中は脚以上に傷ついているかもしれない。

 開会式はこれから。しかしすでに各所で人生を左右するドラマが始まっている。人権問題、政治的な衝突、コロナの感染、気候変動の影響と見られる自然災害…。世界には数多くの問題が山積しているが、ある意味、五輪の立ち位置が試されている大会でもある。

 海外の選手の記事を書くことが多かった私は五輪で“国籍”を感じたことはない。笑っても泣いても、勝っても負けても、そこにドラマがあふれているなら誰でも受け入れてきた。すでに涙が雪と氷にしみ込んでしまったが、オーウェンスやデッカーが立ち直る姿もぜひ見てみたいと思う。

 どうか穏やかであってほしいと感じる17日間。次に私の心を揺り動かしてくれるのはさて誰だろうか?

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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