福岡・大牟田の1945年 歪められた野球に見る戦争の責任
【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】1945年(昭和20年)のワールドシリーズは10月3日から10日まで行われ、タイガースが4勝3敗でカブスを下している。そのスポーツ界のビッグイベントを目前に控えていた同年9月。日本では米国の捕虜帰還担当チームが各収容所を訪れ、終戦によって過酷な労役から解放された兵士たちを母国に戻す手続きを進めていた。
この内容はシカゴ・デイリーニュース紙の特派員だったジョージ・ウェラー氏がタイプライターで記事を作製しながら、連合軍総司令部(GHQ)の検閲で伝えられなかった“幻のルポ”の中に記されているもの。そこでは原爆が投下された長崎から、福岡・大牟田にあった日本最大規模の捕虜収容所(福岡捕虜収容所第17分所)にやってきた帰還担当チームの将校が抱いた違和感と当惑ぶりが紹介されていた。
将校は解放された捕虜を気遣って故郷で何が話題になっているのかを口にしたのだった。それがワールドシリーズの直前情報。しかしなぜか大牟田の捕虜たちはその話題が出ると顔をしかめた。ワールドシリーズというより、野球に対しての嫌悪感が漂っていたのだという。
第17分所の所長だった元中尉は、戦後の裁判で有罪となり死刑となった。大牟田は当時、炭鉱の町であり、1700人と言われた連合軍の捕虜たちは炭鉱における最下層の労働者となった。食料は乏しく、赤十字からの配給は捕虜に回ってこない。殴られるのが当たり前の日々。それで命を落とす捕虜もあとを絶たなかった。
ウェラー氏が取材した大牟田の捕虜が語る「日本人」の印象は、われわれ日本人にとっては受け入れるのがとても辛い。それは戦争で人格を歪められたから…と主張しても、飢餓と拷問のような暴力と差別と侮辱に耐えた当時の捕虜たちに理解してもらうことは不可能かもしれない。
炭鉱で働けなくなると病院送りとなるがそこで治療を受けていたわけではない。そしてそこにいたのが全捕虜の敵でもあった医師兼中尉。部類の野球好きだった彼は、徴兵検査で不合格となった地元の若者と野球の試合をさせるために、炭鉱で働けなくなった捕虜たちに野球を強制したと言う。自らはプレーせず、やせ細り、歩くことさえままならない捕虜たちにボールを追わせたのだそうだ。病院に来たのに野球で倒れるという理不尽な日々。ベースにたどりつくだけで精一杯で、そんな「BASEBALL」がこの世に存在していたことを私は記者となってから長い間、知らなかった。
ウェラー氏も第三者がその事実を知ったことを知らない。なぜならマッカーサーの命に背き?軍広報官随行の記者団と行動を共にせず、言葉もわからないのに九州の鉄道を乗り継いで長崎に“突撃取材”を敢行した彼の記者生命をかけた記事は、GHQによって握りつぶされたために公表されなかった。そして同氏は2002年に95歳で死去。そのままであれば映画「FIELD OF DREAMS」の対極にあるような野球にまつわる史実は、誰にも知られることなく時の流れの中で消え去ったことだろう。
しかし息子で作家だったアンソニー・ウェラー氏が父が残していたタイプライターのカーボンを頼りに文字を掘り起こし、それをまとめて一冊の本に仕上げた。
私の手元にあるのは東京・神田の古書街で見つけた「ナガサキ昭和20年夏」というタイトルの本(2007年・毎日新聞社刊)。「GHQが封印した幻の潜入ルポ」という副題がつけられている。これがカーボンからよみがえったウェラー記者が記す1945年の真実。原爆投下から1カ月が経過した長崎の街の様子と原爆が及ぼした医学的影響の記述はもちろんショッキングだったが、本の中では5ページほどの「FIELD OF NIGHTMARE(悪夢のグラウンド)」と呼べる部分は、スポーツに関わる仕事をしている私にとっては手が震えるほどの衝撃だった。
この医師兼中尉の異常なまでの“野球愛”は、炭鉱からの選手引き抜きを目的にしての病院増設を要求するなどエスカレートしていったために分所長も容認できなかったようで、やがて異動の憂き目にあり、捕虜の野球チームは解散。悪夢のグラウンドは防空壕になり、そして終戦を迎えている。
8月12日。「フィールド・オブ・ドリームス(1989年公開)」のロケ地となったアイオワ州ダイアーズビルでは、トウモロコシ畑の隣に500万ドル(約5億5000万円)を投じて作られた球場で大リーグのホワイトソックス戦とヤンキース戦が行われた。ファンタジーが現実と結びついた1日。その夢のような一戦は米国だけでなく日本を含めた多くの人の注目を集めた。
草野球であっても楽しい。それはスポーツだからだ。スポーツには人間の心を揺さぶる何かがあり、人はそれを求めている。
しかしそこに戦争が介在すると、本来あるはずの姿が崩れていく。トウモロコシ畑から生まれたようなファンタジーは皆無。野球は米国で「NATIONAL・PASTIME(国民的娯楽)」と言われながら、大牟田にいた米国の捕虜たちはその“野球観”に背を向けていた。
あってはいけない野球が福岡・大牟田から消えてから2年後、夏の甲子園では福岡代表だった私の母校が優勝。当時の町の様子や活気は伝え聞いている。しかし“戦後の光”と“戦前の闇”は時も場所も背中合わせだった。
海軍士官学校を経て教師となった私の父は退職後、自分の足でコツコツの戦争の歴史を調べていた。沖縄の離島まで足を運んだが、当時の捕虜たちへの扱いを巡っては口を開いてもらえる“語り部”を探すのにひと苦労。非人道的な最終兵器「人間魚雷・回天」でやがて出撃することを覚悟していた父は、人生の最後にウェラー記者のような“突撃取材”を敢行したのだが、うまくはいかなかった。
戦争は形あるものも、スポーツ精神のように形のないものも両方壊していく。その責任を負うものは山のような“不都合な真実”を次から次に闇へと葬ろうとする。だからこそ、そこに異を唱える人たちが必要なのだ。ウェラー記者がそうであったように、自分もまたその位置に踏みとどまりたいと思う。
「IF YOU BUILD IT、 HE WILL COME」。これは映画の中でケビン・コスナーが演じた主人公のレイ・キンセラが聞いた天の声。彼が幻となっていた選手たちを呼び寄せるために、トウモロコシ畑をグラウンドに変えたように、戦争のむごさを伝えるには誰かが何かを切り開いていかなくてはいけない。アンソニー・ウェラー氏は天国の父からそんな声は聞いていないだろうが、少なくとも私は呼び寄せられた「HE」の1人になった。
きょうは76回目の終戦記念日。リクエストはしなかったが私の母はこの日に私を世に送り込んだ。
スポーツと平和。簡単なようで実に複雑な関係が両者にはある。だからこそ誰かがこれからも語っていかなくてはいけない。全宇宙から見ると、たとえ小さな星であっても奇跡のような生命をはぐくんでいる地球。その命を奪う戦争ほど愚かなことはない…。すべてのリーダー、すべての人間が、それを行動で示す日が来ることを願っている。
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。
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