大迫 自ら逆境に追い込み成長 15年に安定した生活捨て渡米「実力より上で頑張ることが自分のために」
【メダル候補の心技体】男子マラソンで92年バルセロナ五輪銀メダルの森下広一以来、29年ぶりのメダルを狙う大迫傑(30=ナイキ)。強さの源流には飽くなき「向上心」がある。成長するために自分より強い選手がいる環境を求め、常に一つ上を目指すのが大迫スタイル。日本マラソン界のトップに立てた「心の強さ」を成長期を知る恩師の証言から解き明かす。
押しも押されもせぬトップランナーとなった大迫の強さの秘密は上昇志向にある。早大時代に駅伝などで名を売り、実業団でも将来を有望視されていたが、15年に名門・日清食品を辞めて米国の陸上チーム「ナイキ・オレゴン・プロジェクト」に拠点を移した。「日本での安定した生活を捨て、無謀な選択をした」。周囲の目にはそう映ったが、大迫は「自分の実力より少し上のところで頑張ることが自分のためになるのは分かっていた」と事もなげに語る。
強い相手と戦って、自己の成長につなげるという視点は陸上を始めた中学時代から養われていた。本格的に陸上を始めた東京・町田市立金井中では陸上部がなく、他の学校や陸上クラブに出稽古を重ねた。2年の夏からは江戸川区にある強豪クラブ「清新JAC」に通った。「負けず嫌いで練習への取り組みは秀でるものがあった。きっと強い選手になると思った」。そう語るのは同クラブの畠中康生代表(62)だ。
自宅のある町田市から西葛西まで片道約1時間半。帰りは午後10時を過ぎることもあった。両親が止めないと毎日でも通おうとしたくらいのめり込んだ。同級生には全国優勝経験のある山野友也がいた。のちに早大で再会することになるが、当時は練習でも試合でも山野に勝てなかった。その環境が大迫のハートに火を付けた。
「流し」と呼ばれるスピード感覚を養う練習最後の短距離走での2人は「戦争だった」という。7割程度の力が理想とされているが、3本走る250メートルで大迫はほぼ全力疾走。「全然流しになってなかった(笑い)。そんな一本から真剣勝負する。競り合いが彼らが強くなった秘密だと思う」
中2の頃、3000メートルのタイムは全国レベルだったが、1500メートルのタイムが縮まらなかった。そんな中で大学生や高校生が参加する日体大記録会に一度だけ参加すると、自己ベストを大幅に更新。周囲の強さに刺激を受けて、才能を開花させた様子に畠中代表は「十何秒縮まったのは驚いた。彼の向上心、周りの環境が大迫を強くした」と振り返る。
実家を出て、名門・佐久長聖高に入学したのも同じ理由だ。当時寮監として共同生活した高見沢勝監督(40)は愛弟子を「生活面も練習面も一番に対するこだわりは強かった」と明かす。上級生を恐れず勝負を仕掛けた。勝てなかったが、挑み続けるメンタルの強さが成長につながった。高見沢監督は「大迫自身が逆境をエネルギーに変えた」という。
30歳となった今も大迫の根っこは変わらない。今年2月、大迫の心が一段と燃え上がった。びわ湖毎日マラソンで鈴木健吾(富士通)が自身の日本記録を33秒も塗り替えたからだ。その記録を見て大迫はこう言った。「まずは一歩超えていこうというモチベーションができた」。強敵がいると強くなる、大迫のスイッチが入った。
五輪最終日の8月8日、札幌。五輪メダリスト、国際大会覇者など大迫よりも強い選手が名を連ねる。大迫にとっては最高の試合環境になる予感がする。
≪第二の大迫育成にも尽力≫大迫の向上心は競技だけにとどまらない。並々ならぬ意欲を燃やしている。五輪後には大迫自身が手掛ける次世代育成プロジェクト「Sugar Elite Kids」を全国展開することを発表した。体を動かすことだけではなく、将来の目標設定など大迫自らが実践してきたメソッドも伝授。大迫は「かつて自分がそうしてほしかったことを全力でしたいと思っている」と話す。
◇大迫 傑(おおさこ・すぐる)1991年(平3)5月23日生まれ、東京都町田市出身の30歳。長野・佐久長聖高―早大卒。マラソンでは18年10月のシカゴで2時間5分50秒、20年3月の東京で2時間5分29秒と2度日本記録(当時)を樹立。トラックでは3000メートル、5000メートルの日本記録を持つ。1メートル70。
≪暑さ対応が鍵≫マラソンは当初の日程から1年を切っていた19年秋に、札幌市で実施されることが決まった。スタートは大会終盤の8月7日(女子)と8日(男子)の午前7時。気象庁によると、両日の過去30年の札幌市の平均気温は22・9度。27・3度の東京と比べると4・4度低い。開催都市からこれだけ離れた場所での実施は極めて異例ながら、メリットはやはり大きいと言えそうだ。
元々、夏には不向きな競技だけに、真夏の開催が多い五輪ではその時々の世界記録、日本記録にはタイムは遠く及ばない。男女を通じて五輪で世界記録を出したのは、10月開催の64年東京大会男子で連覇を達成したアベベ・ビキラ(エチオピア)が最後だ。
五輪では世界記録から10分前後遅くなる女子と比べると、男子はそこまでタイムは悪化していない。どのレースも優勝者のタイムは当時の世界記録プラス2~6分に収まっている。今回も上位が軒並み2時間10分を切る高速レースとなる可能性はある。
男女ともスタート時の気温が30度以上という暑さに見舞われた04年アテネ大会は、女子は野口みずきが金メダル、男子も油谷繁が5位と好成績を残した。平年より気温が上がることも考えられ、当然ながら暑さへの対応力が鍵となるだろう。
≪ケニア、エチオピア…アフリカ勢強力≫ライバルになるのはアフリカ勢だ。大迫も合宿をしていたケニアは、五輪連覇を狙う世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(36)だけではなく、メジャーマラソン優勝経験のあるローレンス・チェロノ(32)、19年ドーハ世界選手権3位のアモス・キプルト(28)という“ドリームチーム”を送り込み、表彰台独占も可能。エチオピア勢も強力だ。
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