福島復興のため…エアレース年間王者・室屋義秀は今日も飛ぶ「正確に状況を伝えていきたい」

[ 2021年3月6日 05:30 ]

震災10年~あの日と“あの日”~

サムアップポーズを決める室屋
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 あの日からもうすぐ10年。東日本大震災の影響を受けながら必死にプレーしたアスリートと指導者が「3・11」と「忘れられない日」を振り返る。レッドブル・エアレース世界選手権で年間王者となったパイロットの室屋義秀(48)は、福島県福島市を拠点として世界の空を飛んできた。復興の歩みとともに飛行技術を高め、16年の千葉大会で初優勝。自らに、そして福島に歓喜を届けた。

 
 福島市内の事務所で大きな揺れを感じた室屋は、外に飛び出して道路の中心に座り込んだ。拠点とするふくしまスカイパークに向かい、除雪作業と一部陥没していた滑走路を整備した。ヘリコプターが離着陸できると思い、支援物資の受け入れ態勢を整えた。「時間が限られる。早くやらなくてはいけないと思った」。ふくしまスカイパークには、1カ月で約200機のヘリコプターが飛んできた。

 9月、イタリアで行われた曲技飛行の世界選手権に出場するなど、11年も世界各国で活躍していたが、外国人の過剰な反応に驚いた。「放射能は大丈夫なのか」「移るんじゃないか」「よく生きてたな」。「Fukushima」のイメージは、86年のチェルノブイリ原発事故と同じだった。室屋は放射能について学び、空中線量も計測してきただけに大会主催者に対し、日本の正しい現状を伝えようと啓蒙活動を続けた。

 09年から参加したエアレースでは惨敗が続き、11年から13年までは大会自体が休止となった。「成績が話にならなかったし、震災もあって選手としてはどん底だった。とにかく苦しかった」。それでも室屋の中には、確かな思いもあった。「自分は福島で練習をベースとしている。結果で世界に示せば、自然と復興につながる」

 全国の支援や人々の努力により、福島は少しずつ復興の道を歩んでいた。室屋もその歩みとともに躍進した。14年にエアレースが再開すると、16年の第3戦の千葉大会で初めて優勝。喜ぶ日本人の前で、幕張の空を飛行する時間は格別だった。「県民の応援もあり、みんなの歩みが花開いた。表現できないうれしさだった。鼻血が出るほどうれしかった」。日本の空から世界に向けて福島の復興を発信した1年後には「パーフェクトだった」とアジア人初の年間優勝に輝いた。

 JR常磐線が全線開通した昨年3月には、原発被害のあった浜通りを飛行するなど、室屋は節目には空から福島を見守る。スモークで青空に「スマイルマーク」をつくる活動を行い、全国各地へ笑顔を届ける。

 「自分自身は支援があるからご飯を食べられている。原発があった地域は、いまだに上空から見ても大変。これからも正確に状況を伝えていきたい」

 福島の未来のため、室屋は今日も飛ぶ。(近藤 大暉)

 ○…19年にレッドブル・エアレース世界選手権は打ち切りとなったが、操縦技術世界一を目指す室屋は新しい大会に向けて調整を続けている。フィジカルトレーニングや食事、体重管理、睡眠など規則正しい生活を毎日完璧にこなしている。「過ごし方としてはある意味、面白くないっちゃ、面白くないですよね」と笑ったが、「時々ラーメンも食べますよ」と人間味のある一面も見せた。

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