桃田賢斗を強くした逆境の猪苗代生活――18歳の誓い「明るいニュースを」東京五輪金で恩返し

[ 2020年3月11日 09:30 ]

あるぱいんロッジの廊下に飾ってある桃田(左から2人目)の写真
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 東日本大震災から11日で丸9年を迎える。今年1月、マレーシアでの不慮の交通事故から復帰を目指すバドミントン男子シングルス世界ランク1位の桃田賢斗(25=NTT東日本)も、震災を機に運命の歯車が大きく動いたアスリートの一人。福島・富岡高(現ふたば未来学園高)1年時に拠点変更を余儀なくされたが、逆境が桃田を強くした。当時、受け入れ先となった同県猪苗代町のペンション「あるぱいんロッジ」で過ごした2年間を追った。

 それは青天のへきれきだった。震災から1カ月。「あるぱいんロッジ」に旅行代理店の営業マンが飛び込みで訪れた。当時のオーナー・平山真さん(71)は振り返る。「学校の受け入れ先を探していた。館内を見て回り、その日に寮になることが決まった」。夏は合宿、冬にはスキー客でにぎわう北欧風ペンションが、富岡高と富岡一中バドミントン部の拠点となった。

 11年3月11日、福島第1原発から10キロ圏内にある富岡高は激しい地震で校舎や寮、体育館は半壊した。単身でインドネシア修業中の桃田は被災を免れたが、帰る場所を失い香川県内の実家に避難した。猪苗代への移転は震災2カ月後の5月10日。高校2年となった桃田の時計の針が再び動きだした。「猪苗代という土地も原発からどれだけ離れてるかさえも、誰も知らないで来た。ただ、そこに行けばバドミントンができる。その一心だったと思う」と平山さん。到着した部員たちの笑顔は忘れられない。

 寮生活を送る施設はロビーや食堂、大浴場を備える本館と宿泊部屋だけの別館に分かれる。本館は浪江町からの避難者を受け入れ、桃田たちの寮生活は別館で始まった。中高生合わせ部員37人は猪苗代町内のサテライト校に通い、近所の体育館で汗を流す。富岡高は当時の大堀均監督(現トナミ運輸コーチ)の下、午前練習、授業、夕方練習のスケジュール。午後6時半に寮に戻ると洗濯やラケットのガット張りを順番でこなした。人数が多いため8畳の部屋に3人で雑魚寝。それでも、バドミントンができて幸せだった。

 桃田の存在は、当時から際立った。富岡一中時代に全国制覇し、国内外への遠征も多かった。「寮に帰ってきた時に桃田君だと分かるようになった」と平山さん。活発な部員が多い中でも寡黙な印象。だが、桃田が遠征から帰ってきた日は寮の雰囲気が少し違った。「全員が食事中に箸を休めて桃田君の話に聞き入っていた。憧れの的ですよね」。遠征先の試合や食事、ハプニング…。食堂の定位置で楽しそうに語るエースの周りには、自然と人だかりができた。

 太りやすい体質の桃田には日課があった。毎日、風呂上がりに体重計に乗り、体調管理を行う。野菜嫌いで肉を食べ過ぎてしまうこともあり、時々、反省したような顔で廊下を歩く。「どうしたの?」。問い掛ける平山さんに、桃田はつぶやく。「ちょっとオーバーかな…」。当時からセルフメンテナンスには手を抜かなかった。

 桃田は飛ぶ鳥を落とす勢いで成長する。2年時に世界ジュニア銅メダル、3年では日本勢初の同王者の称号を手にした。寮内にはある逸話が残る。廊下の床に円柱形のシャトルケースを立て、スマッシュで次々と倒すのは朝飯前だ。さらに、ネットの高さにひもを張り、得意のヘアピンショットでシャトルを次々にケースにしまった。「彼らの遊びはラケットとシャトル。これは凄いなと、あぜんとしました」と平山さん。逆境に立ち向かう日々も、大好きなバドミントンが支えだった。

 卒業して退寮する際に見せた感傷的な桃田の姿は印象的だ。平山さんは「ロビーで後輩たちや同級生とじゃれ合い、なかなか出ていかない。お母さんは玄関の外で“早く行くよ!”と待ってるのに」と振り返る。後輩にサインをせがまれては「ダメ!」と笑う桃田を思い返し「ここに来てバドミントンができてよかったと感じてくれたのかな」と語った。

 富岡高はふたば未来学園高として再出発し、寮生活を送った別館は昨秋に取り壊された。生徒が去った今も本館の廊下には、卒業生の寄せ書きが飾られている。18歳の桃田は誓った。「これからも明るいニュースを伝えるので期待していてください」。東京五輪金メダルで、全ての人への恩返し――。そこには、猪苗代の人たちも含まれている。

 《賭博謹慎後…鍛え抜かれた肉体に“努力の跡”感じた》平山さんは数奇な人生を歩む桃田を静かに見守っている。16年に賭博問題で謹慎処分。17年5月に謹慎が明けた後、後輩たちの指導のため一度だけ猪苗代に訪れた。ロビーに現れた桃田は「すみませんでした」と頭を下げた。神妙な表情とは対照的に肉体は鍛え抜かれていた。相当な努力を察した平山さんは「大丈夫だよ。これから頑張らなきゃね」と優しく背中を押した。
 ゼロから出直した桃田は19年、日本勢初の世界選手権連覇を達成。同年は史上初の国際大会11勝を果たし、早々と東京五輪出場を確実にした。順風満帆だったが、今年1月には遠征先マレーシアで交通事故で負傷。右目の眼窩(がんか)底骨折の手術を行い、2月29日から練習を再開。平山さんは「完全復活を期待している」とエールを送っていた。

 ▽今後の桃田 1月に遠征先のマレーシアで遭った交通事故の負傷から復活を目指す桃田の日本代表合流は5月以降になることが濃厚だ。日本代表に合流予定だった今月19~22日の強化合宿が、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止。同代表は4月末まで海外転戦を余儀なくされ、途中合流は厳しい。回復が順調なら5月1日から始まる熊本合宿での復帰となりそうだ。

 ▽富岡高 福島県双葉郡富岡町にあった県立高校。1950年に創立され、06年から同高中心の連携型中高一貫教育による人材育成プロジェクトが開始。バドミントンやサッカー、ゴルフで全国から精鋭が集まった。福島第1原発事故の警戒区域に含まれ、県内外のサテライト校に分散。15年4月に広野町に開校したふたば未来学園高に引き継がれ、生徒募集停止。17年3月に休校となった。バドミントン部は団体で男子2度、女子3度(16年は合同チーム)の全国総体優勝。桃田のほか混合ダブルス世界ランク4位の渡辺、東野組(日本ユニシス)らを輩出している。

 ◆桃田 賢斗(ももた・けんと)1994年(平6)9月1日生まれ、香川県三豊市出身の25歳。7歳で競技を始め、富岡一中、富岡高を経て、13年にNTT東日本入社。中高とも全国優勝を経験。15年に日本人初のスーパーシリーズファイナル制覇。15、18、19年全日本総合選手権優勝。19年は史上初の年間ツアー獲得賞金50万ドル超え。名前の由来はコミック「スーパーマン」の主人公クラーク・ケント。1メートル75、72キロ。左利き。血液型A。

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