徳勝龍の母 感動の涙 幸運の「ドクターイエロー」に遭遇「“キター”と思いました」

[ 2020年1月27日 05:30 ]

大相撲初場所千秋楽   徳勝龍 初優勝 ( 2020年1月26日    両国国技館 )

賜杯と恩師で場所中に亡くなった近大相撲部・伊東監督の遺影を手にする徳勝龍。その右隣りは涙ぐむ母・えみ子さん(撮影・村上 大輔)
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 歓喜の瞬間を両国国技館で見届けた母・えみ子さん(57)は「感動しました。ヒヤヒヤする部分あったけど、今場所なら何とかしてくれると思いました」と目を潤ませた。これまで観戦日の勝率は悪く、国技館に限れば2回とも黒星。不吉なデータが頭をよぎったが、地元・奈良を出発して東京駅のホームに降りると一気にテンションが上がったという。見れば幸運が訪れるという「ドクターイエロー」に遭遇。「興奮してこれは“キター”と思いました」。5時間後、青木家に夢のような瞬間が訪れた。

 体重188キロの徳勝龍は生誕時3860グラムだった。えみ子さんによると、生後4カ月で歯が生え「ご飯を食べたいから早く生えたのかなと思った」と笑う。生後半年で10キロに達すると「ベビーベッドがいっぱいいっぱいだった」。幼稚園の制服は特注。上着は規格外のため母が裁縫したものを着用した。小学校高学年になると、おやつ代わりにチャーハンとラーメンを胃袋に流し込み、小1で42キロだった体重は卒業時100キロの大台に到達した。

 警察の機動隊員で、柔道の指導者でもある父・順次さん(73)の影響により、3歳から柔道を習い、小2から野球も始めた。奈良市で優勝する強豪チームで「4番・捕手」を務めた。母が「ホームランもよく打った」という強打者だった。

 わんぱく相撲に出場できる小4から相撲を始めると、未経験ながら地区予選を勝ち抜き、全国大会に出場。その後は親が車を1時間運転して奈良から大阪の道場に通い、才能は磨かれた。中3の大阪大会では王者として君臨する豪栄道を撃破。その時の相撲が、明徳義塾高相撲部で元横綱・朝青龍を育てた浜村敏之監督(享年62)の目に留まり、大相撲への第一歩を踏み出した。 (宗野 周介)

 《奈良でPV200人 父も「感無量」≫奈良市庁舎に設けられたパブリックビューイング(PV)には、市民やファンら約200人が集まった。会場で見守った父親の青木順次さんは「徳勝龍」と書かれたタオルで涙を拭い「感無量。歴史に残ることだ」と、初の賜杯をつかんだ息子を称えた。順次さんによると、小学4年時の「わんぱく相撲」全国大会で敗北してから、相撲の稽古にのめり込むようになったという。「弱音は吐かなかった。ほんまに頑張った」と回想しながら、余韻に浸った。

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