ウィザーズの原点はオレンジジュース入りのミルク?八村を指名した球団に秘められた遠い過去

[ 2019年6月25日 09:45 ]

ウィザーズにNBAドラフト全体9番目で指名された八村塁(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】米国の歴史上、唯一の内戦は北部諸州と南部諸州が戦った南北戦争(1861~65年)だった。米国史の原稿を書こうとしているわけではない。八村塁(21=ゴンザガ大)を1巡目の全体9番目で指名した「ワシントン・ウィザーズ」を掘り下げようとしたら、時代は19世紀にまでさかのぼってしまった。ただ、日本人初のNBA1巡目指名選手の誕生は、意外なほど深い歴史の奥底から生まれ、その偶然性の中には八村の未来を暗示させるような部分もある。

 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に登場する車型タイムマシン「デロリアン」が手元にないので、可能な限りの資料を元に150年ほど時計を巻き戻して昔の世界を頭に描いてみる。ご存知のようにこの内戦で勝ったのはグラント将軍(のちの第18代米大統領)率いる北軍。ただし戦いに勝つためには日本の戦国時代同様、「兵糧」の確保が不可欠だった。そして北軍の食糧供給の拠点となったのがイリノイ州シカゴ。シカゴは小麦などの穀物の集散地であり、畜産業も発展していた。

 この北軍を支えた産業がのちにプロスポーツ界に影響を与えることになった。シカゴではNBAがBAAとして発足した1946年に「スタッグス(雄ジカ)」というチームがあったが4シーズンで消滅。1961年に「シカゴ・パッカーズ」という球団がNBAに加入していた。

 「パッカーズ」は缶詰工場が多かったことから命名された名前だが、シカゴから北に300キロ離れたウィスコンシン州グリーンベイにはアメリカンフットボール、NFLの名門チームでもある「グリーンベイ・パッカーズ」が存在していた。しかもシカゴにはそのライバルの「ベアーズ」が拠点を置いており、「シカゴ・パッカーズ」というチーム名は「ニューヨーク・レッドソックス(ニューヨークはレッドソックスのライバル・ヤンキースの本拠地)」、あるいは「ミルクにオレンジジュースを混ぜるようなもの」と形容されるほどのミスマッチだった。

 日本的には「阪神ジャイアンツ」と「味噌汁に混ぜたお茶」?当然、人気など出ない。しかも最初に使用したアリーナ(インターナショナル・アンフィシアター)は食肉処理を前にした牛を収容している「ユニオン・ストックヤード」の隣。そもそもプロバスケがまだ米国内でスポーツ・ファンから全面的な支持を得られていないような時代だったので、シカゴ市民ですら寄り付かない場所だった。

 シーズン開幕前に行われたエキシビジョンの入場料はわずか1ドル50セント(当時のレートで540円)。あまりの不人気に2シーズン目からギリシャ神話に登場する「ゼファーズ(西風の神)」に変えてみたが興行と成績の低迷は続き、このチームは1963年にメリーランド州ボルティモアに移転して、「ウィザーズ」の前身「ブレッツ」となった。

 マイケル・ジョーダンを擁して1991年のファイナルで初優勝を飾る「シカゴ・ブルズ」のNBA加盟は1966年。つまり「ゼファーズ」が西風に流されて?東海岸のボルティモアに去ったあと、シカゴにはNBAのチームが3年間、存在しなかった。「パッカーズ」は18勝62敗で「ゼファーズ」は25勝55敗。ところがこの弱小チームからはウォルト・ベラミー、テリー・ディシンジャーという新人王が2年連続で誕生していた。

 第二の故郷ボルティモアもまた南北戦争の歴史を刻んだ場所。メリーランド州自体が「北」と「南」に分裂していたこともあって1961年4月19日、最初の衝突はこの町で起こった。その開戦の舞台となったボルティモアに本拠を置いた「ブレッツ」は1969年にアール・モンロー、1970年にウェス・アンセルドと2人の新人王を輩出。ベラミー、モンロー、アンセルドの3人はのちに殿堂入りを果たしており、南北戦争で発展した町の勢いは場所と形を変えて受け継がれた。

 「ブレッツ」は1973年、ボルティモアから首都ワシントンDCに隣接するメリーランド州ランドーバーに移転して「キャピタル(首都)・ブレッツ」となり、翌1974年に「ワシントン・ブレッツ」となる。そして1978年のファイナルでアンセルドの活躍もあって「シアトル・スーパーソニックス」を4勝3敗で下して初優勝。リーグ制覇はこれ1回のみだが、NBA全30球団のうちホーネッツ、ナゲッツ、グリズリーズ、マジックなど、まだ11球団が優勝未経験であることを考えると、チーム最初の試合の入場料が540円だった「ブレッツ」の歴史には輝いた1ページがきちんと記されている。なによりこのチームから新人王が4人誕生していることは、八村にとっても“追い風”になることだろう。マイケル・ジョーダン(現ホーネッツ・オーナー)は現役生活の全盛期をシカゴ、晩年をワシントンDCで送った1人。この2つの都市には、バスケットボールを通して見える不思議な結びつきが見え隠れしている。

 最後になぜ「ブレッツ(弾丸)」が「ウィザーズ(魔法使い)」に名前が変わったのか?それは戦争では当たり前だった「銃」という武器に対して1人のオーナーが嫌悪感を示したからだ。名前はエイブラハム(通称エイブ)・ポリン氏(2009年に85歳で他界)。今季グリズリーズに所属した渡辺雄太(24)と同じジョージ・ワシントン大出身の同氏は建設業で財をなし、46年間にわたってこのチームのオーナーだった。しかし1995年11月4日、友人でもあったイスラエルのラビン首相が銃弾に倒れて死去。「ブレッツ」は本来「弾丸よりも速く」という意味を込めてつけられた名前だったが、ポリン氏にとってはもはや当初の意味合いを持てなくなっていた。しかもワシントンDCの犯罪発生率は高く、命の尊厳を重んじるオーナーにとって、その名前は耐え難いものになっていた。

 新チームの候補は「WIZARDS」以外に「ドラゴンズ」「エクスプレス」「スタリオンズ」「シードッグス」と4つあったが最終的に「ウィザーズ」に決定。ところがこれもまた論争を呼ぶ結果となった。なぜなら白人至上主義団体「KKK(ク―・クラックス・クラン)」の役職名のひとつが「グランド・ウィザード」や「インペリアル・ウィザード」。アフリカ系アメリカンの多いワシントンDCでは「シカゴ・パッカーズ」と同じように、オレンジジュースをミルクに入れたかのような違和感があった。では「竜」、「急行」、「種牡馬」、「アザラシ」の方がよかったのか…。それは今となってはもうわからない。ただこのチームには米国が抱える“暗部”を背負いながらも、前に進んで行こうとする力が常に漂っている。

 2019年6月20日に誕生した日本人初のNBAドラフト1巡目指名選手。南北戦争が集結してから155年目で、シカゴとボルティモアを経由したチームは新たな歴史の1ページを切り開いた。そして八村は今、草創期に4人もの新人王を輩出したチームにいる。「ウィザーズ」が積み重ねてきた歴史の数々。これからのしばらくの時間、その歴史は彼のものであってほしいと思う。その力量があるからこその全体9番目指名だったと私は確信している。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは4時間16分。今年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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