勘違いだけど

[ 2019年4月27日 09:00 ]

小出義雄氏
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 【我満晴朗 こう見えても新人類】京都で行われる全国高校駅伝の取材を初めて命じられたのは1986年12月半ばのこと。「ついでに“前もの”原稿も頼んだぞ」とデスクから軽く指示された筆者は果てしなく困った。高校駅伝の知識はゼロに近かったので。

 インターネットなど影も形もない時代で頼もしき情報源は専門誌だ。早速、書店に駆け込み「陸上競技マガジン」を購入。おお、高校駅伝特集号ではないか。

 パラパラとページをめくりながら構想を練る。優勝候補は前年まで3連覇中の報徳学園(兵庫)らしい。一方でダークホースは出場2回目の市立船橋(千葉)だとか。うん、ここかな。ぼんやりとした興味を抱き代表電話にダイヤル。回線は体育教官室につながれた。

 「あっスポニチさん? 取材に来てくれるんだ。いつでもいいから遠慮せずいらっしゃいよ。がははは」

 あっけらかんとした声の主は当時47歳の小出義雄監督だった。

 では遠慮なくうかがいますと一眼レフを抱えて練習現場に向かう。学校にほど近い丘陵地で黙々と走る部員の姿をモノクロフィルムに焼き込みながら監督の話を聞く。「優勝なんか意識してないね。目標タイムで走れればいいんですから」。目を細めるその姿からは大会前のプレッシャーなどみじんも感じられなかった。走っている若い選手を見るのが大好きなおじさん、といった風だ。

 大会前日、「都大路で初の日本一を目指す市船橋」という拙稿が地味に掲載された。で、本番の結果は見事な初優勝!夢中になって書き殴った記事は翌朝のフロント面を飾っていた。

 1年後の12月。再び「前もの」を執筆するため電話をつなぐ。V2を狙うチーム状態などを根掘り葉掘り尋ねていくうちにこう返された。

 「ねえガマンさん。取材はいいから、近いうちに飲みに行こうよ」
 「…(絶句)」

 さほど濃密に交流していたわけではない20代半ばのペーペー記者に対し「飲みに行こう」って、いったいなんなんだこの人。「まあ、その、いいっすね」とゴニョゴニョ言葉尻を濁して会話を終えたような気がする。

 受話器を置いた黒電話を見つめながらしばし黙考。前年の事前取材で優勝を予想し、その通りになったのだから、ことのほか覚えがよろしかったのゆえのお誘いかな?

 以降数日は優越感に浸っていたのだが、後で聞いたら同業他社の記者にも同じようなオファーをしていたんだとか。多少気落ちしたものの、小出さんの人をひきつけるオーラの出所は十分過ぎるほど理解できた。

 結局その後、飲みの機会は全くなかった。せっかくのチャンスを逃した自らの不器用さを悔やみつつも、スポニチの記者で小出さんとファーストコンタクトしたのはこのオレだと心の中で空威張りしていた30余年。

 4月24日の訃報を知った際の喪失感はとてつもなく大きい。(専門委員)

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2019年4月27日のニュース