稀勢、17年間の土俵人生に幕 支えに感謝「1人ではここまで来られなかった」

[ 2019年1月17日 05:30 ]

横綱・稀勢の里引退

引退会見であいさつする稀勢の里(撮影・村上 大輔)
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 【稀勢の里に聞く】両国国技館に併設された相撲教習所で午後3時30分すぎから行われた会見の冒頭であいさつ。その後、質疑応答に応じた。

 「私、稀勢の里は今場所をもちまして引退し、年寄・荒磯として後進の指導に当たります。大変お世話になりました。ありがとうございました」

 ――今頭に浮かぶことは?

 「たくさんの人に支えられてきて、一人一人の顔を思い出す。感謝の気持ちしかない」

 ――17年間の土俵人生振り返って。

 「本当にいろいろな人に支えられて、1人ではここまで来られなかったと思うし、本当に感謝の気持ちです」

 ――一番心に残っていることは?

 「ありすぎてなかなか思い出せないが、やはり稽古場が強くしてくれた」

 ――横審から「激励」の決議を受けて土俵に立った。

 「覚悟を持って場所前から過ごして稽古してきた。自分の中でこれからだという気持ちがあるくらい良い稽古をした。その結果、初日から3連敗。自分の中で一片の悔いもありません」

 ――体の状況は?

 「ケガをして以来、自分の中では一番良い動きができていた。自信をもって臨んだ」

 ――新横綱場所で痛めたケガの状況と、当時どんなことを感じた?

 「一生懸命やってきました」

 ――相当大ケガだった。

 「そうですね…はい」

 ――ケガから丸2年。ケガを抱えながらどういう思いで横綱を務めた?

 「このままで潔く引退するか、こうして横綱に上げてもらったファンの人たちのために相撲を取るというのはいつも稽古場で自問自答していた。ファンのため、応援してくれる人のために続けようという判断でやってきたが、このような結果になってファンの人たちには非常に申し訳ないという気持ち」

 ――先代からの教えで心に残っていることは?

 「稽古場というものは非常に大事。その稽古場というものを今後も次世代の力士に大事さを教えていきたい」

 ――天国の先代にはどういう言葉で報告するか?

 「感謝の気持ちを伝えたいです」

 ――横綱になったら景色が変わると言葉を掛けられてきた。

 「やはり大関と横綱というのはまったく違うものでした。ですが、まだまだ先代が見ていた景色はまだ見られていない」

 ――横綱という地位はどういうものだった?

 「自分自身を変えてくれました」

 ――この一番というのはあるか?

 「17年横綱を決めたあとの千秋楽、横綱・白鵬関との一番」

 ――なぜその一番?

 「11年に大関昇進したときには九州場所の千秋楽に琴奨菊関に負けた。その悔しい思いがあって、次に昇進するときは絶対負けないという気持ちで臨んだ」

 ――弟弟子の高安に声を掛けるとしたら。

 「もう一つ、上がありますから。まだまだこれからだと」

 ――涙の意味は?

 「いろんな人に支えられたのを思い出した。先代はじめ、思い出すとどうしてもこぼしてしまいます」

 ――どういう部分が横綱になって変わった?

 「大関時代、幕内、十両もそうですけど、全く覚悟も変わったし意識も変わった。そういう部分で自分自身変わったなとそう思います。説明はしにくいですけど、自分の中で本当に変えてくれた」

 ――相撲教習所での会見となったが、15歳のころの思い出は?

 「早く強くなって早く大銀杏(いちょう)を結いたい。ただその気持ちだけでした」

 ――モンゴル勢とも戦ってきたが、外国人力士たちに対する思いは?

 「自分を成長させてもらったのも横綱・朝青龍関はじめ、モンゴルの横綱のおかげだと思っている。稽古を巡業中に見て背中を追いかけて少しでも強くなりたいと稽古しました。上がれなかったときも日馬富士関にも声掛けてもらった。非常にいいアドバイスをもらったのを覚えている。感謝の気持ちです」

 ――日本人横綱として大きな期待を背負ってきた。重圧だったか?

 「良い環境の中で相撲を取れることは力士として幸せなこと」

 ――どういう弟子を育てたいか。

 「一生懸命相撲を取る力士、ケガに強い力士、そういう力士を育てたい」

 ―― 一番うれしかったことは?

 「天皇賜杯をもらったとき」

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