柔道男子日本代表・井上康生監督 威信背負うための“YAWARAか”発想

[ 2018年9月19日 10:00 ]

2020 THE PERSON キーパーソンに聞く

柔道男子日本代表の練習を見つめる井上監督=中央(撮影・尾崎 有希)
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 1912年のストックホルム大会から日本が参加してきた夏季五輪で、最多39個の金メダルを積み上げてきた競技をご存じだろうか。それが54年前の東京五輪で初採用された柔道だ。2020東京五輪特集企画の「キーマンに聞く」第1回は、男子日本代表を率いる井上康生監督(40)。20日の世界選手権(アゼルバイジャン・バクー)開幕を前に、柔道発祥国の威信を背負う覚悟に迫った。

 54年前の東京五輪、無差別級で神永昭夫が決勝でヘーシンク(オランダ)に敗れた衝撃は「日本柔道の敗北」と言われた。2年前のリオ五輪では、女子48キロ級の近藤亜美(三井住友海上)が銅メダルにとどまったことを謝罪したことが、国内で論争を呼んだ。世界の2番、3番が胸を張れない。是非や賛否はともかく、こうした選手や周囲の反応は、日本における柔道の位置づけを端的に表している。

 「柔道は常に期待され、常勝軍団であることが求められる。よく『お家芸』と言われますよね。でも、そういう期待があるからこそ、我々は強い気持ちで戦うことができる」

 そう語る井上監督自身、小学生時代にこんなエピソードがある。ローカルテレビ局の取材で、将来の夢を「五輪に出たい」と語った。しかしモヤモヤが残った。帰ろうとするクルーを呼び止め、撮り直しを懇願。「五輪で優勝したい」と言い直したという。10代の子供の頃から心の深淵(しんえん)に宿る柔道家としての覚悟。これこそが、選手を金メダルへと突き動かす原動力なのだ。

 「決して勝利至上主義ではないが、子供たちが高い意識を持って柔道に取り組む。いい言葉で言えば、それが良き伝統」。自身も2連覇を目指した04年アテネ五輪でメダルを逃す屈辱を味わった。だから選手には、常に「覚悟を持て」と呼びかける。指導者となった今は「その分、勝ったらもっと選手を持ち上げてもらいたい気持ちはある」と話すが、頂点しか見ない選手たちの否定はできない。

 指導者として「熱意、創意、誠意」の3つの柱を大切にしている。「全力でやれるか。そこそこではなく、何が何でもという精神でいることが大切」という熱意。「でも漠然と、がむしゃらに努力するのではなく、考え抜く、学び続けることが大事」という考えに基づく創意。そして「誠意なくしては、さまざまな人の協力は得られないし、自分自身の成長もない」と言う。

 受け持つのは、日本柔道界のピラミッドの頂点に立つ選手ばかり。したがって「基盤や形はできている。それを軸にしながら、プラスアルファで世界で戦うために必要な肉付け」が指導方針だ。監督就任後、階級別の担当コーチ制を敷き、具体的な技術指導は各コーチに任せた。そして1年のスパンで見れば、選手が稽古や私生活のベースを置くのは、あくまで所属企業や在学中の大学であることから「全日本(代表)でやれることは限られている。みんなで選手がレベルアップできる環境をつくることが大事」というスタンスだ。

 そのために「一番やらないといけないのはマネジメント的なこと」だ。「付きっきりで頑張ってくれる担当コーチやスタッフが、やりがいを感じられる環境づくり。そして必要なのが所属の力。いかに協力を得られるかが大事なので、そこを第一に考えている」。誰もが協力、応援したくなる日本代表をつくる。そこにも熱意や誠意を大切にする理由がある。

 リオ五輪後、柔道には大きなルール変更があった。17年には有効以下のポイントや合わせ技一本が廃止され、男子の試合時間は5分から4分に短縮化。指導差での決着もつかなくなった。ところが今年になって一転、合わせ技一本は復活。現行ルールが東京五輪でも適用される見通しだが、「一見シンプルに見えるが、より複雑になっている。投げて一本を取れれば理想だが、なかなかそうはいかない。ルールが非常に複雑に絡み合う中で、勝機を見つけなければならない」と警戒する。

 そうした中で就任以来、革新的な取り組みを行ってきた。専門家をコーチに招へいしての本格的なウエートトレーニングの導入、栄養士や全日本柔道連盟の科学研究班との連携強化はもちろん、サンボや柔術、沖縄角力(すもう)などの格闘技の講習から、陶芸や茶道、座禅といった日本の伝統文化の体験まで、さまざまな“異業種”とのコラボレーションも実現してきた。

 「遊んでいる暇があったら練習しろという空気があった」時代に現役を過ごしながら、「私の得意技は自分自身の変なプライドはさておき、選手のこと、いいと思うことを認めて、それを現場に生かすところ」と話す。引退後の英国留学、ビジネスや経営学の分野にも広げる読書を通じ、豊かな発想力を磨いた。

 実際に柔術や陶芸の技術が柔道に生きるかと言えば、そうは考えていない。しかし「言い表せない世界が待っている」と表現する東京五輪で、勝ち抜くのに必要なのが柔軟性や対応力。だから「どんなにルールや状況が変わっても、それをはね返す必要がある。柔道とあまり関係ないことをやらせるのも、誰も到達できないオリジナリティーを身につけることが必要」と言い、さまざまな分野から学びを得る習慣化を図る。そして「時に非科学的とか、非効率的とか、精神論とか根性論も絶対に必要」とも言う。井上監督ですら経験したことがない、東京五輪の頂を制すために。

 ◆井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年(昭53)5月15日生まれ、宮崎県出身の40歳。5歳から柔道を始め、現役時代は00年シドニー五輪男子100キロ級金メダル。世界選手権は99、01、03年の3度優勝。体重無差別の全日本選手権は01年から3連覇し、08年に現役引退。英国留学、母校の東海大柔道部副監督などを経て、12年ロンドン五輪後に男子日本代表監督に就任。16年リオ五輪では金2個を含む全7階級でメダル獲得と手腕を発揮している。

 ▽日本の競技別五輪メダル数 金メダル数では柔道の39個に続くのがレスリングの32個、体操の31個、水泳の22個、陸上の7個となる。メダル総数では体操の98個が最多で、水泳が94個(アーティスティックスイミング14個を含む)、柔道は84個となる。日本オリンピック委員会(JOC)は東京五輪での金メダル目標を30個に設定しており、柔道での獲得数はカギを握る。

 ▽五輪における柔道競技 64年東京大会で男子のみ4階級で初めて実施。68年メキシコシティー大会では実施されなかったが、72年ミュンヘン大会で男子6階級で復活し、以後毎大会実施されている。80年モスクワ大会から無差別級を含む8階級となり、92年バルセロナ大会で初めて女子も正式採用。男女各7階級の実施が確立された。20年東京大会では初めて男女各3階級ずつの混合団体戦が行われる。また、17年以降は男子の試合時間が5分から4分に短縮、有効以下のポイントや指導差による決着の廃止など、大きなルール変更が行われた。

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