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中村俊輔 涙なし笑顔の引退会見「40過ぎてカズさんとやると思わなかった」三浦知良との出会いに感謝

[ 2022年11月10日 14:27 ]

中村俊輔氏
Photo By スポニチ

 今季限りでの現役引退を発表したJ2横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が10日、引退会見を行い26年間のプロ生活に別れを告げた。

 スーツ姿で会見に臨んだ俊輔は「明るく楽しい時間にしたい」と笑顔であいさつ。小野伸二や川口能活、遠藤保仁、長友佑都、岡崎慎司、三浦知良ら代表でともに活躍した選手らからの引退をねぎらうメッセージ動画をうれしそうな表情で見入り「本当にカズさんはじめ、ストラカン監督だったり皆さんからメッセージを受けて感動しました。遠藤選手は少しふざけてたのは、少し気になります」と笑った。

 現役ラストマッチとなった10月23日のJ2最終節・アウェー熊本戦から18日。心境の変化を問われると「そこまではないですね。ですけれども、今、ワールドカップがあるということで、早くリーグが終わったのでチームとしては1ヶ月ぐらい練習があるので参加させてもらって練習試合もして、なんか仲間から“あの人、結局、来年もやるんじゃないの?”って雰囲気なってます」と笑い「もうちょっとだけ練習させてもらって」と体を動かし続けていることを明かした。

 引退を決断した時期については「30後半ぐらいからは、いつでも(引退)できるようにというか、悔いのないように。だから単年契約をどこのチームともさせてもらった」とし「今シーズン、足首の状態が良くなくなって、そこからですね。相談したのは妻、家族ですね」と今年6月にメスを入れた右足首の状態が思わしくないのが引退の決め手になったと語った。

 そして、44歳まで第一線で活動した原動力については「自分の中から出てくる情熱、上手くなりたい、サッカーが単純に好き、それに尽きると思いますね」ときっぱり。「上に上がるにつれ似たような選手が集まっている」とし「40過ぎてカズさんとやると思わなかった。自分よりサッカーが好きな情熱的な選手と会えたのは財産」とメッセージ動画もくれた三浦知良との思い出を語り、感謝の言葉を口にした。

 その上で「日本代表のためにやってたので、仲間たち、メッセージくれた選手たち、(川口)能活さんは若い時にボールを受けてくれたり、一緒のパーソナルトレーナーで筋トレで汗流したり、そういう人たちに囲まれたのが大きかった」と周囲の人たちへの感謝も忘れなかった。

 俊輔は桐光学園(神奈川)で出場した全国高校サッカー選手権で脚光を浴び、97年に横浜M入り。22歳で史上最年少MVPに輝くなど、一気にスターへの階段を駆け上がった。セリエAのレジーナを経て加入したセルティックでは、数々のスーパープレーで多くのタイトルを獲得。06~07年シーズンの欧州CLでマンチェスターU相手に決めたFK2発は、今も語り草となっている。まさに直接FKは俊輔の代名詞。J1でも最多24本のFK弾を誇る。

 日本代表でも一時代を築き、全てをささげてきた。W杯は06年ドイツ大会、10年南アフリカ大会と2度出場。03年コンフェデ杯ではフランスのGKバルテズから芸術的なFK弾を決め、05年の同杯では最強ブラジル相手に強烈なミドル弾を叩き込むなど、世界に衝撃を与えた。数々の栄光の裏では、02年日韓W杯のメンバー落選、横浜時代の13年リーグV逸など挫折も多く経験したが、悔しさをバネに再び頂点に返り咲くその姿は誰をも魅了した。

 ◇中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日生まれ、横浜市出身の44歳。97年に桐光学園から横浜M入り。02年7月にレジーナ(イタリア)移籍。05年7月に移籍したセルティック(スコットランド)では多くのタイトルを獲得。09年6月にエスパニョール(スペイン)に移籍し、10年2月に横浜復帰。17年から磐田でプレーし、19年7月にJ2横浜FCに加入した。00年と13年にJ1でMVP。日本代表は98試合24得点。W杯は06、10年に2度出場。1メートル78、71キロ。利き足は左。

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