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板倉 冨安欠場も代役で完封貢献、天国の祖母と9年越しの約束果たした

[ 2021年7月23日 05:30 ]

東京五輪 男子サッカー・1次リーグA組   日本1―0南アフリカ ( 2021年7月22日    味の素スタジアム )

<日本・南アフリカ>前半、競り合う板倉(撮影・北條 貴史)
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 不測の事態でも動じなかった。負傷した主軸の冨安が外れたセンターバックに板倉が入った。「チャンスが来た時に自分のプレーができるように準備していた」。南アフリカとの激しいコンタクトもいとわず、安定した守備を披露。前半はシュートを1本に抑え、後半も得点を許さなかった。ペアを組んだDF吉田から「滉が安定していた」と称えられる冷静さが光った。

 1歳になる前、最初に発した“2語文”は「ボールあった、ボールあった」だったという。19年にイングランドの強豪マンチェスターCに完全移籍し、そのままレンタルでオランダ1部フローニンゲンに移って2年半。昨季は全34試合にフル出場し、現地メディアからは「マラソン・マン」と名付けられた。

 活躍を見守ってくれる人がいる。東京開催が決まった13年。祖母のきよみさんは闘病生活を送っていた。「滉ちゃん、五輪に行けたらいいね。東京に決まったね」。祖父の喜隆さんと一緒に自宅のある神奈川から奈良など遠方まで足を運び、初孫の試合を熱心に見守っていたきよみさんは、喜んだ。そして「もう7年は生きられないかな。五輪は無理かな、頑張ってね」と思いを託し、その翌年、天国に旅立った。板倉は9年越しの約束を果たせた日となった。

 「結果だけ見れば1―0で勝ち点3を取れたけど、危ないシーンもあった。次に向けて、修正できる」。急な出番にも見事に対応したが、その表情に満足感はない。24歳は試合後まで冷静だった。

 ◇板倉 滉(いたくら・こう)1997年(平9)1月27日生まれ、横浜市出身の24歳。小学4年時に川崎Fの下部組織に入団。15年にトップチーム昇格。18年に仙台に期限付き移籍し、19年にイングランド1部マンチェスターCに完全移籍。今季はレンタル先のオランダ1部フローニンゲンで全34試合にフル出場し、クラブの年間最優秀選手に選出された。1メートル86、75キロ。利き足は右。

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2021年7月23日のニュース