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サッカー男子代表・相馬勇紀 突破力に手も足も使う!最小1メートル66、磨いた両手を広げる“ブロック”

[ 2021年7月17日 05:30 ]

五輪代表の相馬勇紀
Photo By スポニチ

 【メダル候補の心技体】1968年メキシコ五輪の銅以来のメダル獲得を目指すサッカー男子の中で、MF相馬勇紀(24=名古屋)は左サイドを主戦場に、一瞬で加速する爆発的なスピードを生かした突破が持ち味だ。ところが、サッカー選手なのにユース時代から磨いてきたのは“手”だった。身につけた“技”は1メートル66という身長の低さを見事、長所へ変え、森保ジャパンの中核を担う存在にまで台頭している。

 

 足の技術を磨いても、手の技術を磨くサッカー選手は少ない。海外にはいたとしても少なくとも日本には――。だからこそ相馬は希有(けう)な突破力を身につけられた。三菱養和SCユース時代、小柄なMFをよりパワフルに成長させた指導者がいた。
 高2からコーチとして指導した庄内文博氏(49、写真)。「体全部でサッカーをプレーするというのを教えた」と話す。当時の相馬には同世代を「ぶっちぎっていくような強さと速さ」はあったが、あと一歩突破ができない惜しいプレーもあった。そこで手本として示したのが、元ブラジル代表のMFウェリントン・ネン(29=フルミネンセ)という選手だった。

 身長は1メートル65で、1メートル66の相馬とほぼ変わらない。背格好がそっくりな上、抜群の突破力を誇った。腕を使うプレーは日本の育成年代はほぼ教えられないが「ブラジル人は当たり前のようにやる」ものでもある。その中でもウェリントン・ネンは腕の使い方が独特で「胸の高さまで上げながら、ぶわーっと入ってくる」と、まるで振り回すように動かしながら相手をブロックしてドリブルで切り裂いていくスタイルの選手だった。

 チーム全体にも海外選手のプレー映像集は見せていたが、相馬にはとりわけウェリントン・ネンの映像をよく見せた。グラウンドまで小型のプレーヤーを持ち込み、DVDを見せながら個人練習にも付き合った。腕を上げる高さの目安は相手の胸のエンブレム。体全体でDFの寄せを防ぎながら突破するすべを「癖が付くぐらい」練習した。大柄な選手がやればファウルをとられがちだが、小柄な相馬には武器になる。高3の14年にはJクラブのユースを下し、日本クラブユース選手権で全国優勝にも貢献した。

 今もウェリントン・ネンそっくりに腕を水平になるくらいまで高く広げ、相手に寄せられないようにしながら切れ込む。庄内氏は「腕を使うことは(今も)サイズに関係なくやれる一つの要素」と推察。相馬自身、「(三菱)養和の12年間では、技術もたくさん育ててもらったけど、まず一番は自分のスピードという特長を生かすための武器を教えてもらって、今の自分の特徴にもなっている」と感謝している。

 実は相馬の「手」の力は、天性のものでもある。母の靖子さん(54)はテニススクールのビッグKに所属した富士見丘高3年時にノーシードからシングルスとダブルスで全国総体2冠。父の安紀さん(56)は名門の桜田倶楽部で鳴らし、後輩の松岡修造氏の練習相手を務めた。

 相馬も3歳になる前からラケットを握った。「(子供用で)打っていたんですけど、打つインパクトの瞬間みたいなものが凄く速いんですよ。パチッてしっかり捉えていた」と安紀さんは振り返る。両親は小学校高学年から本格的にテニスを習わせるための体づくりとしてサッカーに通わせたが、相馬はテニスよりもサッカーにぐんぐんのめり込んだ。

 22人のメンバーで最も小柄な相馬は五輪で「身長を気にする子供たち」に披露したいプレーがある。「“身長差は関係ないんだよ、むしろドリブルの体の入れ方だったり素早さで、それが特長になるんだよ”というプレーを見せたい」。相手に“手”も“足”も出させないプレーで、悲願の金メダルをつかみ取る。

 ◇相馬 勇紀(そうま・ゆうき)1997年(平9)2月25日生まれ、東京都調布市出身の24歳。小学校時代は地元・布田SCと三菱養和調布SSに通った。三菱養和SC調布ジュニアユース、三菱養和SCユース、早大を経て19年に名古屋入団。同年夏に鹿島に期限付き移籍し、20年に復帰。J1通算80試合7得点。19年12月のE―1選手権でA代表初選出。1メートル66、69キロ。

 《酒井から金言》相馬は東京五輪代表合宿で“酒井直伝”の突破力を磨く。静岡合宿中の10日、紅白戦で百戦錬磨の酒井とマッチアップ。抜けそうになりながらも、体勢を立て直された酒井にボールを奪取された。その後「自分の下に潜り込んで1個前にボールを出せばPKをもらえる」と内側に切れ込むドリブルを助言され「本当にその通り」と納得した。12日のホンジュラス戦では3点目をアシスト。17日の本番前最後の強化試合でも金メダル最有力候補のスペイン相手に腕をぶす。

 《68年メキシコ大会銅以来のメダル獲得へ》開催国の日本は今大会、団体球技10競技に男女計18チームが出場する。過去最多は前回16年リオデジャネイロ大会まで3度の7チームで、今大会はその倍以上。68年メキシコ大会の計3個(バレーボール男女、サッカー男子)を上回るメダル獲得が期待される。

 60~70年代に日本のお家芸と呼ばれ、強さを発揮したのがバレーボール。女子は「東洋の魔女」と呼ばれて各国から恐れられ、男子は72年大会で大逆転劇「ミュンヘンの奇跡」を経て金メダルを獲得した。その後、日本の看板競技となったのが92年に正式採用された野球と96年に始まったソフトボールで、ともにメダルを3度ずつ獲得。いったんは正式競技から外れたものの、3大会ぶりの復活とあり注目度は高い。

 サッカー男子は68年のメキシコ大会以来、53年ぶりのメダル獲得を目指す。達成できれば、団体球技では12年ロンドン大会バレーボール女子の28年ぶりを上回る「お久しぶり記録」になる。ホッケー男子は出場自体が53年ぶり。32年ロサンゼルス大会で、日本の団体競技で初めて銀メダルを獲得してから89年。出場国中の世界ランクは最下位ながら、地の利を生かしてサプライズを起こせるか。 

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