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中沢佑二氏 ブラジル留学時代の“過酷”な仕打ちも克服 小籔千豊も絶賛「アニメにして流すべき」

[ 2021年7月6日 08:03 ]

日本代表時代の中沢佑二氏(2010年撮影)
Photo By スポニチ

 元サッカー日本代表DFの中沢佑二氏(43)が、5日深夜放送のカンテレ「こやぶるSPORTS超」(月曜深夜0・25)に出演。サッカー留学のために単身ブラジルへ渡った際の苦労話を語った。

 中沢氏の高校は、サッカー界では無名とも言える埼玉県立三郷工業技術高校。中学3年生の時にJリーグ発足を知り、キング・カズこと三浦知良がブラジル留学をしていたことから、自身も留学を決断するが、生半可な道ではなかった。

 「最初の3カ月間は言葉も通じない。メンタル的にもやられて、スパイクも、お金も盗まれて」

 日本から来た無名の18歳は仲間外れ。チームから配られる練習着も、1人だけ渡されなかった。「監督が日本人はサッカー下手だから、外で走っていろと。全体練習終わるまでグラウンドに入れてもらえなかった」という過酷な環境だった。

 だが、言い返したくても、言葉が理解できず「まず、言葉を覚えないといけない」と思い、テレビを付けっぱなしで聞き取りの練習や、辞書片手に近所の子供たちとポルトガル語の練習で何とか乗り越えた。

 それでも、チームの全体練習にはなかなか入れず。グラウンドの脇を2時間走らされるだけの日々も続いた。「そういう練習もやらないと、来た意味がない」と奮起した中沢氏はとにかく手を抜かずにランニング。すると「ひたすら走っているうちに体力が付いた」として、ブラジル人と一緒の走力テストでも、ぶっちぎりの1位となり、「それを繰り返していくと、ちょっとずつ練習に混ぜてもらえるようになった」という。

 ただし、全体練習が終わった後の30分間など満足な時間はなかったが、文句を言わず、借りたボールで自主練習を繰り返し、鍛え上げた。そんな過酷な体験を聞いていたMCの小籔千豊(47)は「これは、すごい。アニメにして、日曜日の朝、流すべきやで」と絶賛して、中沢氏も大笑い。小籔は「周りに味方もいない。言葉も通じない。サッカーやりたいのにやらしてくれへんで、走っとけって。日本でも走れたわいと思いそう」と、うなるしかなかった。

 中沢氏は「自分で選んだ道なので途中で投げ出すこともできなかった。元々、片道で行った。気軽に帰れないので、自分で追い込んだのもよかったですね」と話し、留学で学んだこととして、「ハングリーさは学びました。日本でプロになりたいと思うのと、ブラジル人が思うのは全然違った」と、生活を懸けるプロとしての必死さが身についたと振り返った。

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2021年7月6日のニュース