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ホペイロ一筋 J2京都の松浦紀典氏が「楽しい」と言えるワケ

[ 2020年2月20日 05:00 ]

多くのスパイクに囲まれながら仕事をする松浦氏
Photo By スポニチ

 スポットライトを浴びる選手の陰には、必ず支える人がいる。その道一筋の職人や、選手から転身した人などバックボーンはさまざまで苦労も人それぞれ。サッカー界の縁の下の力持ちに注目する「ピッチ外のスペシャリスト」を紹介する。 

 今、思い出しても目頭が熱くなる。昨年12月、J2京都のホペイロ、松浦紀典氏(49)の元に現役引退したばかりの元日本代表DF闘莉王からLINEが届いた。「松ちゃんと出会えたこと、仕事ができたこと、自分は神様に感謝する。ありがとう」。この仕事をしていたからこそつながった立場を超えた信頼関係だった。

 Jリーグが産声を上げた93年、日本人初のプロホペイロとしてサッカー界に身を投じた。ホペイロとはポルトガル語で「用具係」の意味。スパイクやレガースなどの用具管理や準備だけではなくドリンクも用意する。さらに、スパイクのスタッドの高さを自在に修正できる松浦氏ならではといえるのが、固定式スパイクの一部スタッドをくり抜いて取り換え式スタッドをはめこむ“MIX”スパイクの作製だろう。V川崎(東京V)に始まり、ホペイロ一筋27年。三浦知良や本田圭佑、吉田麻也ら多くの選手が信頼を寄せている。

 ホペイロは日々、時間と自分との戦いだ。例えば土曜日にJリーグの試合がある。まず試合後、限られた時間を目いっぱい使ってスパイクやレガースの汚れ落としをする。メンバー入りは18人。だが複数スパイクを使用する選手も多いため50~60足にも上るという。

 オフ明けの火曜日。2部練習の場合は午前練習が始まる3時間前にはクラブハウスに到着し、その日使用するスパイクの準備をする。午後練習が始まる前までに午前練習で使ったスパイクのクイックケア。午後練習が終われば、その日使用した45~50足の本格手入れが始まる。並行して、次の試合開催日の2日前までに前節の試合で使用したスパイクを新品状態に戻す作業を行う。1週間でケアするスパイク数は約300足。特に夏場の連戦時は「自分の時間を削らないと間に合わない」。2時間しか睡眠時間がない時もあれば、昼食を十分に取れない時もある。

 それでも「楽しい」と言える。そこにはプロとしてのプライドがあるからだった。

 J初年度の1993年からホペイロ一筋の松浦紀典氏は元々、一般企業に勤めていた。「本当はプロ選手になりたかったんです。でも、到底その実力はなかった」。だが、雑誌でホペイロの存在を知り「これならば自分もプロに関われるな」と考えていた。

 そんな中、運命の糸に導かれるように、ある人物と出会う。ルイス・ベゼーハ・ダ・シルバ氏。91年頃、読売クラブ―トヨタ自動車戦を会場で観戦した時、読売クラブでホペイロとして働くベゼーハ氏に出会った。ベゼーハ氏こそが雑誌で取り上げられていた人物。そこから親交が続き、2年後に同氏に招かれた。

 当時のV川崎といえば、ラモス瑠偉や三浦知良ら、日本を代表する選手が集まったタレント軍団。まだ若かったため、試合前夜は30分ごとに目が覚めているほど、重圧を感じていた。いつしか「選手の体の一部になるアイテムを預かること」への誇りと重圧を受け入れられる強さが身についたものの、カズから言われた「オレは魂を込めてボールを蹴るから、マツは魂を込めてスパイクを磨けよ」という言葉は今も胸に刻み込まれている。

 「ホペイロって日本人に向いている職業だと思います。細かい作業ができて、仕事はキッチリしている」。ただ一方で、こうも言う。「主役になりたいと思わないこと。そして人や物への感謝の気持ちを持つことは大事になります」。選手を支えていると同時に、選手やクラブがいてこその職業。支えられている気持ちは忘れてはいけない。だから松浦氏は選手がピッチで最大限の力を発揮してもらうために、自らの時間を削ることができる。

 今、ホペイロを雇用しているクラブは少ない。日本代表ですらホペイロを帯同させることはない。地位はJ発足時とあまり変わっていないと感じることもある。だが前を向く。

 「いつか日の丸に関わる仕事をしたい。その思いは消えない。カズさんと同じ。やっている限りそこを目指さないとダメ。上を見ないと成長しないので」

 仕事に妥協はない。27年前も、今この瞬間も――。一つひとつのスパイクに魂を込め磨き続ける。 

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2020年2月20日のニュース