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セレッソFW杉本健勇、恩師がほれ込んだ巨漢の“釜本2世”

[ 2018年5月15日 06:07 ]

ロシア代表候補 青き原点(2)

杉本(右)とFCルイラモスヴェジットの金尚益監督
Photo By スポニチ

 大阪市にあるサッカークラブ、FCルイラモスヴェジットは存続の危機に立たされていた。01年、通っていた生徒の保護者が「新しいチームをつくる」と言いだし、約60人のうち、50人近くが急にやめていった。試合を戦うことすらままならない状況に陥っていたとき、入部しようとやってきた巨漢の少年が、小学4年の杉本健勇(25)だった。

 「豚のようやけど、運動神経が半端じゃなくてセンスの塊。苦しいときだったし“神様がこんな選手を与えてくれた”と思った」

 現在も同クラブで指導を続ける金尚益監督(60)は17年前を懐かしむ。右手の大ケガで入院生活を送っていたこともあり、当時の杉本は背が高いだけでなく、体重80キロ(小学4年男子の平均体重は約30キロ)と明らかに太っていた。その体ですばしっこく動き回る姿を見て、金氏は夫人にこう話した。

 「健勇には30人分の値打ちがある。だから“俺はこの1人を30人分の月謝をもらったと思って教えるから”と。それで朝練を始めるようになった」

 休みは全くなかった。月〜金と練習があり、土日は試合。そこに早朝6時からの朝練も加わった。やんちゃな遊び友達も多かった杉本が、サッカーをやめようと思ったことは一度や二度ではない。公式戦ですら「おなかが痛い」と休もうとしたものの、監督は許さなかった。いつしか、月曜日は朝練に行き、学校を休み、通常の練習に行くことが当たり前になった。

 小学5年の頃には体重が60キロ台に絞られ、試合で約30メートルのロングシュートを決めた。相手が頭で競ろうとするボールをジャンプして胸でトラップするなど、思い描く以上のプレーができ、サッカーが楽しくなり始めた頃。ある日の練習中、自転車に乗った20人近い友達が「健勇、遊ぼ」とやってきた。「ごめん、もう遊ばれへんねん」。サッカーが一番になった瞬間だった。

 大阪市生野区で生まれ育ち、誰よりも仲間思い。友達がケンカでやられると仕返しにいった杉本を「生野区の番長やった」と金氏は言う。そして続ける。「健勇はね、最初で最後の“釜本2世”やと思っているんですよ」。恩師が「月謝30人分」とほれ込んだ逸材が今、W杯出場のチャンスをつかもうとしている。

 ◆杉本 健勇(すぎもと・けんゆう)1992年(平4)11月18日生まれ、大阪市生野区出身の25歳。FCルイラモスヴェジットからC大阪U―15に進み、同U―18を経て10年7月に飛び級でトップ昇格。12年3月に東京Vへ期限付き移籍し同年7月に復帰。15年に川崎Fへ完全移籍し、16年に完全移籍で復帰。国際Aマッチ通算6試合出場1得点。1メートル87、79キロ。利き足は右。

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