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切り札ピクシー招へい“万年中位”名古屋が変わったワケ

[ 2010年11月20日 17:15 ]

J1初優勝を決め、胴上げされる名古屋・ストイコビッチ監督

 【名古屋1―0湘南】ストイコビッチ監督でのリーグ制覇は、クラブが温めてきた青写真が実現したものだった。福島義広専務は「いつかはピクシー(監督の愛称)で、というのがあった」と話す。

 名古屋はトヨタ自動車など大企業に支えられ、Jリーグでも屈指の経営規模を誇る。選手の報酬などを含む人件費は、2009年度は約23億5000万円でリーグ2位。だが、これまでリーグ優勝に縁がなかった。
 イングランド代表で1986年ワールドカップ(W杯)得点王のリネカーを獲得して臨んだ初年度の93年は、年間順位で10チーム中9位、翌年も低迷し「お荷物」ともささやかれた。その後も大型補強などで上位争いに加わるものの、昨年まで過去17シーズンで年間3位以内は3度だった。
 そんな“万年中位”のクラブに危機感が高まったのは過去最低の14位に沈んだ05年のオフ。チーム立て直しの3カ年計画を立ち上げた。06年には選手育成に定評のあるオランダ出身のフェルホーセン監督を招き、その手腕で阿部、小川ら若手が力を伸ばした。
 同監督がオランダのクラブに引き抜かれた後の08年、予定より早くストイコビッチ監督を招へい。選手時代にも大きな実績を残した「切り札」を、クラブが全力で支えた。監督と同時期に、幅広い人脈と交渉力を持つ久米一正ゼネラルマネジャーを迎えた。闘莉王をはじめ監督が望む選手を次々に獲得し、クラブ創設以来の大願が成就した。

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2010年11月20日のニュース