寺田農さん追悼 悲しみの声広がる 川淵三郎氏「サッカーしたり食事したり」松尾貴史「力強い握手を」

[ 2024年3月23日 08:24 ]

寺田農さん
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 俳優で声優の寺田農(てらだ・みのり)さんが死去したことが23日、分かった。81歳。所属事務所「CESエンタテインメント」が公式サイトで発表した。寺田さんの訃報に各界から悲しみの声が上がった。

 映画監督の金子修介氏は「寺田農さん まさかと思いましたが本当なのですね」と別れを惜しんだ。「まだまだお会いしてお話など出来るかと思っていましたが残念でなりません 悲しくやりきれない気持ちがこみあげてきます」と悲痛な胸中を吐露した。「ご一緒に仕事出来たことは楽しく思い出し 誇りに思います 心よりご冥福をお祈りいたします 本当にありがとうございました」と追悼した。

 俳優の松尾貴史は「寺田農さん、数年前ドラマでご一緒した時に、毎日新聞の連載『ちょっと違和感』を毎週読まれているそうでたいそう褒めていただき力強い握手をしてくださった。大先輩から大きな励みをもらって感激したのがつい昨日のことのようです」としのんだ。「またの邂逅を望んでいましたが、残念至極……。哀悼」と悼んだ。

 中野英雄は「寺田農さん 最後に会ったのは日本統一の茨城ロケでしたね… 初めて会ったのは36年前付き人の頃に柳葉敏郎さんと寺田農のシーンで代官山ロケでした!監督の細かな要求を丁寧にお芝居していたのを思い出します また私は俳優経験が無く寺田農さんのお芝居の変化に驚きながら見学した事を覚えています」と回顧。「色々な作品でご一緒しましたが僕とお芝居したのは恐らく3.4回です 毎回ドキドキしていました 寺田農さん ゆっくり休んで下さい ご冥福をお祈り致します」と記した。

 四方堂亘は「寺田農さん……。たくさん共演させていただきました。会うたびに顔をくしゃくしゃにして笑顔を見せてくれました。日本映画の歴史をもっと教えていただきたかったです。もっともっとダンディな演技を魅せていただきたかったです。そして、もっと感謝したかったです……。ありがとうございました」と悲しみと感謝をつづった。

 女優の和田光沙は「寺田農さん 映画窒息の現場では、相米組や岡本組の話を昨日の事のように鮮明に話してくださり、役者は小道具と言いながら芝居にはとことん貪欲で、未来の野望に溢れていて、進化を止めずに歩み続けている姿が本当にかっこいいと思いました。もっとお話し聞きたかった。ありがとうございました」と共演時を振り返った。

 また、寺田さんは大のサッカー好きで、J2千葉の熱狂的なファンとしても知られただけに、元日本サッカー協会会長で、Jリーグ初代チェアマンも務め、現日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏は「寺田農さんの訃報に接し残念でなりません。心からお悔やみ申し上げます」と追悼。「サッカーが大好きでJリーグができる前から親しくお付き合いしていました。サッカーをしたり食事をしたり農さんの舞台を見に行ったり、独特の綺麗な字で激励のお手紙を何度もいただきました。ご冥福を心からお祈り申し上げます」としのんだ。

 元サッカー日本代表でJ2千葉のクラブユナイテッドオフィサーを務める佐藤勇人氏は「寺田農さんが81歳でご逝去されました。ナビスコカップ決勝の試合後に国立競技場でお会いしお話をさせていただいた事を思い出します」と回想すると、「生前中に昇格のニュースをお届けする事ができず残念ですが、天国から見守ってくれると思います。
寺田さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします」と感謝を記した。

 映画監督の八木毅氏は「寺田農さんはとても洒落ていてカッコよくて、そして優しい方」と回想。「ウルトラマンマックス『狙われない街』で演じたくださったメトロン星人は素敵でしたし拙著『実相寺昭雄の冒険』でも楽しくたくさん語って下さりました。お世話になりました。ありがとうございました。寂しいです。ご冥福をお祈りします」と悼んだ。

 寺田さんは1961年に文学座付属研究所に第一期生として入所し、65年に「恐山の女」で映画デビュー。68年、主演映画「肉弾」で毎日映画コンクール男優主演賞を受賞した。ナレーターや声優など幅広い分野で活躍し、声優としては86年「天空の城ラピュタ」のムスカ大佐役を務めた。81年「セーラー服と機関銃」、85年「ラブホテル」、2003年「透光の樹」、09年「仮面ライダーW」などの代表作がある。

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