高田文夫氏 昭和、平成のヒット番組を作り上げた「盟友」ビートたけしとの初対面「オレ勝ったな、と」

[ 2024年3月2日 18:54 ]

放送作家の高田文夫氏
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 放送作家の高田文夫氏(75)がYouTubeチャンネル「みんなのテレビの記憶」にゲスト出演。「盟友」ビートたけしとの初対面にまつわるエピソードを明かした。

 高田氏は日大卒業後、放送作家としてデビュー。数々のバラエティー番組を任され始めた1975年頃、親交のあった芸人ポール牧さん(2005年死去)から「最近、浅草へ行ってるの?」と聞かれた。浅草といえば、東のお笑いの聖地。ただ、その頃は一時の盛況が終わり、劇場も閑古鳥が鳴いていた。「行ったって何もないでしょ」と答えた高田氏に、牧さんが「いるよ、高田ちゃん好みの頭の痛いのが…」と教えたのがビートたけしだった。

 同じ時期に青空球児から「浅草にいるんだよ、〇〇〇〇(放送禁止用語)が」と“推薦”されたのも、同じコメディアン。「頭おかしいけど、絶対にテレビ出しちゃダメ」と言われ、高田氏は「ちょっと会うの怖いな」と思いながらも、興味が湧いたという。

 浅草への演芸場へ足を運び、初めて「ツービート」の漫才を見て、「絶対テレビで1秒も使えないと思った」と高田氏は述懐する。「ブスは死ね、とか、山形の田舎もんですとか、赤信号みんなで渡れば怖くないって、あれをやってる頃だから」。超過激な芸風に少し「ひき」ながらも、芸人たちから「話をしてみたら気が合うよ」と言われ、会うことに。ここで高田氏は作戦を思いつく。

 「浅草で会うと、あっちのテリトリーだから、やられちゃうじゃない。NHKで仕事あるってウソついてさ、渋谷まで来てくんないって言って」

 “アウェー”での戦いを避け、高田氏は地元の渋谷にたけしを引き込むことに成功。「(たけしが)渋谷か。オレ初めて来たな。あがっちゃうなだって。オレ勝ったな、と思ったよ」。歴史的な会談が、昭和、平成に数多くのヒット番組を生み出す第一歩となった。
 

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