柳沢慎吾 “恩師”山田太一さんに寂しさと感謝の別れ 「ふぞろいの林檎たち」は「緻密に計算されていた」

[ 2023年12月2日 05:10 ]

山田太一さんが脚本を書いた1983年のTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」。左から、石原真理子、時任三郎、中島唱子、柳沢慎吾、中井貴一、手塚理美(TBS提供)
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 「ふぞろいの林檎たち」などに出演した俳優の柳沢慎吾(61)が本紙の取材に応じ、11月29日に老衰のため、89歳で死去した脚本家の山田太一さんの思い出を語った。「先生は言葉一つ一つを大事にする方だった。あんなにびっしりと書かれたト書きは見たことがないな…」と振り返った。

 1983年「ふぞろいの林檎たち」を撮影していた横浜市の緑山スタジオ。山田さんが現場に訪れると、俳優やスタッフの間に緊張が走ったという。

 「“…だったよ”とは絶対に言わないですね。“…だった”と言い切ってください」

 台本にある「、」は間を意味し、「。」は言い切りだった。「セリフの一字一句に意味が込められていた。言葉のちょっとした違いを表現する繊細な演技が求められていた」と語った。

 台本には「ここで『いとしのエリー』が小さな音で流れる」「(演者が)ここでコーヒーを取り出す」など、通常演出家が担当するような細かい指示までびっしりと書き込まれていた。「その台本通りに演じるとピタッとはまるんです。逆に“うん…”という言葉1つ抜けるだけでも芝居が一気に崩れる。それほどまでに緻密に計算されていた」と懐かしんだ。

 山田さんの作品は徹底的な取材に基づき、高度成長から消費社会に移り変わる戦後日本の時代認識を反映したものだった。「ふぞろいの林檎たち」も、学歴社会を背景に、落ちこぼれの若者たちを、時代の空気を映しながら描いた。同作は、大学生の“テレビ離れ”が指摘された中で作られた作品。だからこそその時の若者の“生の声”を大事にしていた。

 撮影現場のリハーサル室で、柳沢がボウリング場で体験したエピソードを面白おかしく共演者たちに話したことがあった。そこに山田さんが同席。その時に柳沢が語っていた内容が一字一句たがわず台本となって上がってきたこともあった。

 「私たちの言葉も大切にしていただいた。“私のワイルドさが時任さん、私の真面目さが中井さん、そして私自身は柳沢さんなんですよ”と先生が言っていたという話を一度聞いたことがある」という。「ふぞろいの林檎たち」の登場人物には、山田さん自身が反映されていた。

 青春時代に、代表作に巡り合えた。「いつかもう一度やりたかったな…。ありがとうございます。ただそれだけです」。その言葉には寂しさと、“恩師”への感謝がにじんでいた。


 ≪幻の続編シナリオも 柳沢「台本を覚えた」≫ 83年のパート1から97年のパート4まで放送された「ふぞろいの林檎たち」。実は未発表の続編のシナリオが残っており、TBSで特番として放送するプランがあったという。設定は40代になった登場人物たち。柳沢は「台本をもらってせりふを覚えてしまっていたよ」と語る。「何が幸せだよ!来てくれる友達がいるだけで幸せだよ!」「子供の面倒を見なきゃいけないから」。そんなせりふがちりばめられていた。結局、実現には至らなかったが「もう一度みんなと集まってやりたかったな…」としみじみと語った。

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