「どうする家康」酒井忠次・大森南朋が語る作品愛「死してなお家臣」えびすくい極意「最後も雑に」

[ 2023年10月21日 13:50 ]

「どうする家康」酒井忠次役・大森南朋インタビュー

大河ドラマ「どうする家康」第39話。酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋・奥)の”最後の願い”…徳川家康(松本潤)に「天下を、獲りなされ!」――(C)NHK
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 嵐の松本潤(40)が主演を務めるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜後8・00)は今月15日、第39回が放送され、初回(1月8日)から徳川家康を支え続けた家臣団の大黒柱・酒井忠次(左衛門尉)の最期が描かれた。忠次役を好演した俳優の大森南朋(51)に、1年強にわたった撮影の舞台裏を聞いた。

 <※以下、ネタバレ有>

 「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となる。

 第39回は「太閤、くたばる」。茶々(北川景子)に拾(ひろい、のちの豊臣秀頼)が生まれた。徳川家康(松本潤)の説得により明との和睦を決めた豊臣秀吉(ムロツヨシ)だったが、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘だと分かると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言。秀吉の暴走が再び始まった。都が重い空気に包まれる中、家康は三男・徳川秀忠(森崎ウィン)を連れ、京に隠居中の酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋)を訪問。忠次から“最後の願い”を託され、悩む家康に、秀吉が倒れたとの報が届く…という展開。

 文禄4年(1595年)、忠次は秀忠の願いに応え“えびすくい”を伝授。秀忠、井伊直政(板垣李光人)、そして家康も加わり、忠次の“ラストダンス”に花を添えた。

 2人きりになると、忠次は家康を抱き締め「ここまで、よう耐え忍ばれましたな。つらいこと、苦しいこと、よくぞ、乗り越えて参られた」「殿が数数多の困難を、辛抱強くこらえたから、我ら、徳川は生き延びられたのです。殿、1つだけ、願いを言い残してようございますか」「天下を、お獲りなされ。秀吉を見限って、殿が、おやりなされ」――。

 雪が舞う3カ月後。鎧を身にまとった忠次が縁側に。「殿から、出陣の陣触れがあったんじゃ。参らねば」と立ち上がった途端、地面に座り込む。登与(猫背椿)が具足の紐を締めると、忠次は息絶えていた。登与は「ご苦労さまでございました」――。

 慶長3年(1598年)、秀吉は主君・織田信長の待つ彼岸へと旅立った。

 家康の脳裏には、忠次の言葉がよみがえる。

 家康「天下人など、嫌われるばかりじゃ。信長にも、秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか」

 忠次「殿だから、できるのでござる。戦が嫌いな、殿だからこそ。嫌われなされ。天下を、獲りなされ!」

 忠次の“最後のゲキ”。家康の頬を一筋の涙が伝った。

 昨年6月のクランクインから1年強。大森は長旅を共にした松本らより一足早く撮了を迎えた。

 「また一つ素晴らしい作品に携わることができたという達成感もありますが、大河の撮影に通うのがすっかり生活の一部になっていたので、今は寂しい気持ちの方が大きいです。どんな作品に携わってもそういう気持ちにはなりますが、長期間撮影を続けてきた分だけ、重みも増しているように感じます。作品としては、まだ大事な芝居がたくさん残っているので、皆さんの気持ちを思うと、大手を振って喜べない感じがして(笑)。そのぐらい“『どうする家康』愛”が強くなっています」

 石川数正(松重豊)が出奔した後は、松本、大森、ムロで膝を交える機会も。「オールアップまでは、また“呼び出し”があるかもしれません。だから、死してなお家臣なんです。名言が出ちゃいましたね(笑)。潤くんは最後まで走り抜く、やり切る人ですから、その姿を死してなお家臣として見守りたいと思います」とサポートを誓った。

 忠次は第22回「設楽原の戦い」(6月11日)で鳶ヶ巣山砦へ奇襲、第31回「史上最大の決戦」(8月13日)の「羽黒の戦い」で夜襲。共に決死の出陣だったが「もちろん全力で死ぬ気の芝居はしたんですけど、“全然死なないじゃないか”というオチのフリを入れていただいて。設楽原は戦の前に“死んでたまるか”、小牧・長久手(の戦い、第32回『小牧長久手の激闘』8月20日)は勝った後に“天下すくい”。戦とえびすくいとのギャップも面白かったです」と振り返った。

 ラストダンスは「秀忠さんがノリノリだったので、たいぶ救われました。忠次も69歳ですが、最初のイメージより少しテンションが高い感じになったと思います。えびすくいの時は役の年齢は意識せず、最後も“雑”にやりました」と述懐。

 「忠次の場合は、あくまでも宴会芸ですから。舞踊のごとく、きれいに踊るべきじゃないと早々に判断しました。(第26回『ぶらり富士遊覧』7月9日、富士遊覧の饗応。織田信長の機嫌を直そうと)殿まで踊ることになるとは予想もしていませんでしたが、あの美しい動きがちゃんとしたえびすくい。単なる宴会芸をれっきとした出し物に落とし込んだのは、殿の功績じゃないですかね。忠次は即興的で、戦場で踊ることもあったので、形として完成させない方が面白いんじゃないか。最後まで、つかみ切っちゃいけないと考えていました」と“雑”の真意と極意を明かした。

 最期は鎧を着るのを登与が手伝う中、武将として息絶えた。

 「戦国時代の最期というと、戦で華々しく散るイメージもありますが、今回は老衰という形でした(笑)。今作はあくまで家康を軸にした物語で、登場人物全員の最期を描けるわけではない中、素敵なラストを描いてくださったことが本当にありがたいなと思いました。忠次が戦に出ようとしたのも殿への忠誠心の強さからくるものだと思いますし、子を思う親のような気持ちで見守り、支え続けてきたので、最後にきちんとお別れのシーンも作っていただけて、えびすくいも踊らせていただけて、古沢さんの忠次愛がうれしかったです」

 忠次は1527年、数正は1533年生まれ。しかし、実際は大森の方が松重より9歳年下。芸歴も松重が先輩とあり「たまに強めに『数正!』と呼ぶのをはじめ、撮影の間はずっと違和感が拭えませんでした(笑)。いつも細かなプランは練らずに臨むのですが、第34回(『豊臣の花嫁』9月3日)で数正の出奔の真相が分かって家臣団が涙するシーンも、あんなに泣くとは自分でも思っていなかったんです。数正の出奔が寂しいのか松重さんに会いたいのか、自分でもよく分からなくなりました(笑)。やはり長く撮影していると、自分の中で役と役者がリンクする感覚になってきて。視聴者の皆さんよりも、僕の方が没入しているかもしれません(笑)」と明かした。

 大河出演は坂本龍馬(福山雅治)の幼なじみにして土佐勤王党の盟主・武市半平太役を演じた2010年「龍馬伝」以来13年ぶり2作目。

 「当時は、今思うと信じられないぐらい撮影もハードでした。今回はちゃんと働き方も改革されていますから、13年分、年を取ったんだなと(笑)。コロナでロケは少なくなりましたけど、その分、バーチャルプロダクションの進化に驚かされました。やっぱり伝統のあるドラマですし、僕も時代劇が好きなので、力続く限り、何度でもお邪魔させていただければと思います。次は13年と言わず、参加できそうな作品がありましたら、お願いします(笑)」

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