「どうする家康」秀吉&忠次W退場だけじゃない…他に一気6人も没年 ついに関ヶ原2年後に迫る

[ 2023年10月21日 06:00 ]

大河ドラマ「どうする家康」第39話。豊臣秀吉(ムロツヨシ・奥)が最後に徳川家康(松本潤)に伝えた言葉は…(C)NHK
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 嵐の松本潤(40)が主演を務めるNHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜後8・00)は今月15日、第39話が放送され、太閤・豊臣秀吉と徳川家臣団の大黒柱・酒井忠次(左衛門尉)の最期が描かれた。

 <※以下、ネタバレ有>

 「リーガル・ハイ」「コンフィデンスマンJP」シリーズなどの古沢良太氏がオリジナル脚本を手掛ける大河ドラマ62作目。弱小国・三河の主は、いかにして戦国の世を生き抜き、天下統一を成し遂げたのか。江戸幕府初代将軍を単独主役にした大河は1983年「徳川家康」以来、実に40年ぶり。令和版にアップデートした新たな家康像を描く。古沢氏は大河脚本初挑戦。松本は大河初主演となる。

 第39話は「太閤、くたばる」。茶々(北川景子)に拾(ひろい、のちの豊臣秀頼)が生まれた。徳川家康(松本潤)の説得により明との和睦を決めた豊臣秀吉(ムロツヨシ)だったが、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘だと分かると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言。秀吉の暴走が再び始まった。都が重い空気に包まれる中、家康は三男・徳川秀忠(森崎ウィン)を連れ、京に隠居中の酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋)を訪問。忠次から“最後の願い”を託され、悩む家康に、秀吉が倒れたとの報が届く…という展開。

 文禄4年(1595年)、忠次は秀忠の願いに応え“えびすくい”を伝授。秀忠、井伊直政(板垣李光人)、そして家康も加わり、忠次の“ラストダンス”に花を添えた。

 3カ月後、雪が舞う12月。鎧を身にまとった忠次が縁側に。「殿から、出陣の陣触れがあったんじゃ。参らねば」と立ち上がった途端、地面に座り込む。具足を着るのを登与(猫背椿)が手伝うと、忠次は息絶えていた。登与は「ご苦労さまでございました」――。

 慶長3年(1598年)8月。血を吐き、苦しむ秀吉が手を伸ばした呼び鈴を、茶々は遠ざけ「秀頼は、あなたの子だとお思い?秀頼は、この私の子。天下は渡さぬ。あとは私に任せよ、猿」――。茶々に顔をつかまれた秀吉は笑い、事切れた。茶々は我に返ったように秀吉を抱き締めると、涙した。

 家康の脳裏には、忠次の言葉がよみがえる。

 家康「天下人など、嫌われるばかりじゃ。信長にも、秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか」

 忠次「殿だから、できるのでござる。戦が嫌いな、殿だからこそ。嫌われなされ。天下を、獲りなされ!」

 忠次の“最後のゲキ”。オープニングのテーマ曲が流れ、家康の頬を一筋の涙が伝った。

 前回第38話「唐入り」(10月8日)のラストは、文禄2年(1593年)5月。史実上、第39話ラストの慶長3年(1598年)までに没年を迎えている今作の主な登場人物は、

 石川数正(松重豊)=文禄2年(1593年)10月(諸説有):劇中最後の登場は第34話「豊臣の花嫁」(9月3日)

 大久保忠世(小手伸也)=文禄3年(1594年):劇中最後の登場は第37話「さらば三河家臣団」(10月1日)

 豊臣秀次(山下真人)=文禄4年(1595年)劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第29話「伊賀を越えろ!」(7月30日)

 酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋)=慶長元年(1596年)(劇中と相違)

 服部半蔵(山田孝之)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 足利義昭(古田新太)=慶長2年(1597年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 豊臣秀吉(ムロツヨシ)=慶長3年(1598年)

 2代関白・豊臣秀次の切腹事件は、詳細には描かれず。第39話、「唐、朝鮮の怒りを買い、秀次様を死に追いやり、諸国大名の心は離れ、民も怒っておる!こんなめちゃくちゃにして放り出すのか!」と“ナレ死”ならぬ家康の“台詞死”だった。

 天下分け目の「関ヶ原の戦い」(慶長5年、1600年)が迫る。次回は第40話「天下人家康」(10月22日)が放送される。

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