ありがとう!さらば…「中野サンプラザ」大トリは達郎、サンプラザ中野くんが感謝の花束 50年の歴史に幕

[ 2023年7月2日 22:02 ]

さよなら中野サンプラザ音楽祭に出席した(左から)野村不動産代表取締役社長・松尾大作氏、中野区議会議長・酒井たくや氏、中野区長・酒井直人氏、サンプラザ中野くん、中野サンプラザ代表取締役会長・金野晃氏、同社長・佐藤章氏
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 東京都中野区のランドマークである複合施設「中野サンプラザ」が2日、50年の歴史に幕を閉じた。

 多くのミュージシャンやアイドルに愛されてきた都内有数のコンサート会場。同施設では5月3日から集大成となる音楽祭「さよなら中野サンプラザ音楽祭」が開催されており、最終日に行われたクロージングセレモニーには歌手のサンプラザ中野くん(62)が花束を持って登場した。そして芸名の由来である音楽人生の原点との別れを惜しんだ。

 サンプラザ中野くんは「この式典にお招きいただき本当に光栄でございます。この芸名でデビューして来年で40年を迎えます。10年先輩の中野サンプラザさんには本当にいつも優しくしていただき、応援していただきました。ともにエンタメ界を肩を組んで歩んできた…いや駆け抜けてきたような気がします。いつも温かく見守っていただき、中野の皆さんも本当にありがとうございました。新しいサンプラザが開業するまでの間、サンプラザの名前は私が守って参りますので、どうかサンプラザを忘れることなく新しい中野を楽しみに待とうではありませんか!」と感謝の思いを語り、多くの人に愛された“冠”を守り抜いていくことを誓った。

 来場者によると、大トリを務めたミュージシャンの山下達郎は「中野サンプラザはホームグラウンド。43年間立っていて、いろいろな思い出が詰まっている。壊す必要はないと思う。文化が宿っている」と思いを語っていたという。

 また、群馬県60代男性は「学生時代から何度も何度も来た青春の場所。中野サンプラザと達郎は切り離せない。なくなるのは寂しい」と“青春の聖地”との別れを惜しんでいた。

 中野サンプラザは「全国勤労青少年会館」として高度経済成長期の1973年に開館した。旧労働省が100億円と5年の歳月をかけて旧陸軍中野学校の跡地に建設。集団就職で上京してきたものの離職、転職を繰り返す若者たちが社会問題となる中、心のよりどころとなる場所が求められていた。

 高さ92メートル、地上21階、地下2階の高層ビルは特徴的なピラミッド形。公募で決まった愛称は「サンプラザ」で、「サン=太陽」「プラザ=広場」に由来した。

 施設のメインは2222席収容のコンサートホール。このほかボウリング場(28レーン)、研修室や地方紙が読めるスペース、結婚式場、レストラン、ホテルが入り、地下には25メートルの温水プールが7コース分。テニス漫画「エースをねらえ!」が若者の間で流行した80年にはテニスコートも造られた。親元を離れた若者たちが交わり、語り合い、新たな文化が育まれていった。

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