“初代ひょうきんアナ”山村美智 フジ時代は契約制 「ひょうきん族」の懺悔「本当に怖かった」ワケ

[ 2022年1月30日 14:34 ]

元フジテレビアナウンサーの山村美智
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 「オレたちひょうきん族」の“初代ひょうきんアナ”としても知られる元フジテレビアナウンサーで女優の山村美智(65)が30日、フジテレビ「ボクらの時代」(日曜前7・00)に出演。「きょうきん族」での“懺悔”は「本当に怖かった」理由を明かす場面があった。

 この日は同局の元アナウンサーである山村、河野景子さん、近藤サトと3人でトークを展開。いまだに同局のイメージが強いというが、1980年に入社し、入社翌年の1981年10月から「ひょうきん族」へ出演。85年には退社している。

 フジテレビ時代について「私の頃は混乱していたから。選挙特番もやり、『ひょうきん族』もやり、ドラマもやり、歌も歌ってヒットスタジオに出て、とにかく何でもやらせてみましょうと。しかも、ノーギャラで出すことができるし。最初の1年半ぐらいは仕事がなくて、アナウンス室もピリピリしている感じもあった。みんなが仕事がないからちょっと神経質になったり、そういう時期もあったから、その中からフジテレビが大改革を起こして、バラエティー番組もバババッてやって、『ひょうきん族』にもなった。みんなが混乱しながらやっていた時期」と振り返った。

 契約も現在とは違い、契約制だったそうで「社員と同じ待遇なのになぜ契約制?って思ったけど、契約制なの。毎年、名前を書いて印鑑押して。1年更新だった」と回顧。「私よりちょっと前は25歳定年制とか、私が入った時は田丸美鈴さんが一番上で30歳ぐらいだった。すぐにお辞めになったから、30歳までいられないムードはあった」とも明かした。

 話は番組の衣装を用意するスタイリストの話に。河野さんや近藤の時代にはアナウンス室にスタイリストが付くようになっていたというが、山村は「スタイリストは付けてくれなかったから、全部自分で(衣装を)借りに行って返す。大きなスタイリストバッグを抱えて行ってた」と告白。「ひょうきん族」では、懺悔で水をかぶることも多くあったが、「懺悔で水をかぶると、(衣装は)買い取るか、買い取れないものは菓子折りを自分で買って、持って謝りに行くから、本当に懺悔が怖かった。『お願いだからかぶりたくない、これは大切な衣装だから』って…」と苦い思い出を明かした。

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2022年1月30日のニュース