樫山文枝 夫・綿引勝彦さんの最期の言葉は「投了すると伝えてくれ」 膵臓がんと闘い昨年12月に死去

[ 2021年11月8日 14:35 ]

樫山文枝(2012年撮影)
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 女優の樫山文枝(80)が8日放送のテレビ朝日「徹子の部屋」(月~金曜後1・00)にゲスト出演。昨年12月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった夫で俳優の綿引勝彦さん(享年75)の“最期”を明かした。

 綿引さんにがんが見つかったのは2018年8月。その後、2年間の闘病中、病気を隠し続けて5本の映画に出演した。樫山は「本人がどうしても言わないでっていうものですから。繊細なところがありますのでね。イメージのまま逝きたかったのかなと思いまして」と明かした。

 樫山は18年に同番組に出演しているが、当時綿引さんは「入院してたんですよね。膵臓の頭部を3分の一切って、十二指腸も切除して、で大手術をした後に、お腹に水がたまっちゃって、その手術もしなきゃなんない。それを心配して、『徹子の部屋』にうかがって。気もそぞろなんですよね」と振り返った。

 黒柳徹子から「ご主人は亡くなる前に遺言書を作成なさったんですって」と聞かれると、樫山は「ハイ。入院する2週間前ぐらいに酸素吸入器つけながら自分で公証役場に行って、高い階段を上がって行ったとマネジャーが」と明かした。無理することはないのにと思ったというが、綿引さんは「いや、間に合わなくなるといけないから」と話したとし、「私が生活のことがあまり得意じゃなかったんで、やっていってくれたんだと思います」と語った。

 綿引さんは亡くなる6日前まで自宅で生活し、身の回りのことも全て自分で行っていたという。「苦しかったと思うんですけど、自分で何でもやって。もっと手助けしてあげればなと思うけど、あんまりされることを望む人じゃないし。ぎりぎりまでうちにいて、最後に自分で『明日もう病院に行く』って言ったんですよね。それで入院して5日、6日目に亡くなってしまいましたけれど」。それでも「うちにいて良かったと思います」と言い切った。

 そんな綿引さんの最期の言葉は将棋で負けを認め、対局終了となる際の言葉である「投了する」だったという。夢うつつになった綿引さんが手を動かし、「俺の番だろ。俺の指し手だろ」と話し「投了すると伝えてくれ」と続けたとした。樫山は最初は時代劇の殺陣の話かと思ったとし、「そのときには『ハイ』って言ったんですけど、あとでよくよく考えると、自分の中で巡り巡って頭の中で考えていることが出たのかなって。負けたとは思わないんだろうけど、勝手にあたくしがそう思ったというか」と話した。

 黒柳が「あなたを置いていかなきゃならないということは、彼にとって『投了する』ということだったんじゃないですかね」と話すと、樫山は「そうですかね。でもあんまりいい奥さんじゃないですから。彼は天国で幸せになっていると思います」と涙で声を詰まらせながら語った。

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