立川志らく テレビ出演の裏に亡き師匠、親友の後押し「なぜ2人が元気なうちにやらなかったのか」

[ 2021年7月23日 13:48 ]

落語家の立川志らく
Photo By スポニチ

 落語家・立川志らく(57)が、22日深夜放送の日本テレビ系「アナザースカイ」(木曜深0・59)にゲスト出演し、仙台の亡き親友との思い出を語った。

 ゲストがゆかりの地を訪れ、半生をひもとく番組。志らくは自身が地方都市で初めて独演会を開いた仙台を選んだ。親友とは、16年に51歳で死去した渡辺英明さん。もともと志らくの師匠・立川談志さんのファンで、自身も落語家を夢見たほど。仙台で独演会を開く際にはマネジャー的な役割を果たすなど、談志から気に入られていた存在だったという。

 志らくは歳が近いこともあって、渡辺さんと意気投合。「『志らくを絶対、談志の後継者にする』って、私のところに近づいてきて」。地元の東北電力に務めながら、志らくに自身の夢を重ね合わせてくれていたという。

 談志さんも渡辺さんも、志らくへの期待は同じ、「テレビに出ること」だったという。談志さんは生前、志らくに対しての希望を周囲に漏らしていたそうで、「『何でテレビに出ようとしない?テレビで売れてたら、お前が(談志を)継いだって世間は文句言わねえだろ?世間がみんな知ってるんだから』って。いろんな人に聞いた」と振り返った。

 それでも、頑なにテレビを拒んでいた志らくに、渡辺さんが意を決したという。「『志らくをなんとかしたい。東京に出てって、東北電力を辞めて、志らくのマネジャーになる』と決断するんですよ」と志らく。しかし、そんな中で渡辺さんの病が分かったという。「『必ず志らくさんのところに行くから、待っててくれ』と言った後、病気になっちゃった。『ひるおび!』のレギュラーが決まったのを見届けて亡くなった」と打ち明けた。

 頑固さが生んだ後悔だった。「頑なにテレビを拒否していた。今考えてみれば、尊敬する師匠、価値観を共有できている親友が『出ろ、出ろ』と言ってたんだから、とにかく出てみればいいだけだった。後悔は、なぜ2人が元気なうちにやらなかったのか」と寂しそうにつぶやいた。

 今では人気コメンテーターとして活躍、世間の知名度もぐんと上がった。「テレビが嫌だと言ってたのがまったくの誤解で、50を過ぎて知ったおもちゃ箱みたいな」。そう話す志らくに、MCの今田耕司(55)は「喜んでらっしゃるでしょうね。『ほら言ったろ?』っていうくらいね」と、志らくの亡き師匠、親友の反応を想像していた。

続きを表示

「美脚」特集記事

「嵐」特集記事

2021年7月23日のニュース