原信夫さん死去、94歳 戦後の国内ジャズ界けん引

[ 2021年6月23日 05:30 ]

原信夫さん
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 ジャズのビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を率いたサックス奏者の原信夫(はら・のぶお、本名塚原信夫=つかはら・のぶお)さんが21日午後9時48分、肺炎による呼吸不全のため東京都の病院で死去した。94歳。富山市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男原とも也(はら・ともや、本名塚原知哉=つかはら・ともや)氏。

 旧海軍軍楽隊を経て戦後、進駐軍のクラブでジャズのレコードを聴き、仲間に「ルービー(ビール)が飲めるぞ」と誘われて演奏法を学びバンド入り。1951年にビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成し、日本のフルバンドの最高峰として、ジャズ全盛期に屈指の人気を誇った。

 50~60年代には江利チエミさんや美空ひばりさんら多くの大歌手の指名でバックバンドを務め「NHK紅白歌合戦」でも演奏した。

 イブ・モンタンやサミー・デイビス・ジュニア、ナット・キング・コール、フランク・シナトラら海外のトッププレーヤーらとの共演も多く、67年には日本のバンドとして初めて米国のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演。2010年に解散するまで、長く日本のジャズ界をけん引した。

 美空さんが歌ったヒット曲「真赤な太陽」を作曲したことでも知られる。1988年に紫綬褒章、98年に勲四等旭日小綬章をそれぞれ受けた。

 ◇原 信夫(はら・のぶお)本名・塚原信夫。1926年(大15)11月19日生まれ、富山県出身。小学5年の時、音楽教師に勧められてコルネットを吹き始めブラスバンドの道に。その後、旧海軍軍楽隊に憧れ入隊。「シャープス&フラッツ」には元クレージーキャッツの谷啓さんやコメディアンの世志凡太らも一時籍を置いた。妻はバンドの初代ピアニストだった愛子さん。

 ▼秋元順子(アルバムなどで共演)2010年にアルバム「スインギン」で、レコーディングに参加させていただきました。それは「原信夫とシャープス&フラッツ」としての最後のレコーディングでした。スタンダードジャズ3曲と、原信夫さんが美空ひばりさんに書かれた「真赤な太陽」にもボーカル参加させていただき、私自身、歌を諦めずにいたからこそ、このような光栄な機会に巡り合えたと思う瞬間でした。素敵な時間をありがとうございました。

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