渡哲也さん 病魔とケガと己と闘い続けた俳優道

[ 2020年8月15日 05:30 ]

渡哲也さん死去

74年4月、熱海の病院での渡哲也さん(左は妻の俊子さん)

 渡さんの人生は若い頃から病魔との闘いの連続だった。1972年に30歳でフジテレビのドラマ「忍法かげろう斬り」に主演中、葉間肋膜炎と診断された。約3カ月間休養を余儀なくされたが、代役を弟の渡瀬さんが務める形となった。これが「生まれて初めての大病」だった。

 衝撃が走ったのは主演を務めたNHK大河ドラマ「勝海舟」の降板劇だ。74年1月、撮影中に高熱が続き、肋膜炎と診断された。急性肝炎まで起こし、入院は約9カ月にも及んだ。退院時には「今更あわてても仕方がない。開き直った気持ちでやります。これからも仕事を選んでやっていきたい」と気丈に振る舞っていた。翌年に映画「仁義の墓場」で再起したものの、3月に膠原(こうげん)病により約4カ月間入院。当時は「悲運のスター」と呼ばれた。

 89年にはテレビ朝日のドラマ「ゴリラ・警視庁捜査第8班」のロケ中にヘリから飛び降りて左足腓腹(ひふく)筋を断裂し、全治1カ月半の重傷を負ったこともあった。だが「はってでも行く」と痛みを押して撮影を続けた。それも石原プロ社長としての責任感からだった。

 その間にも病魔は忍び寄っていた。91年には直腸がんと闘うため自ら病名を公表。渡さんは嫌がっていたが、石原プロや家族のことを考慮して、涙ながらに人工肛門を取り付けることを承諾。その後、小児がんの撲滅キャンペーンイベントにも携わっていく。

 石原裕次郎さんがタフガイなら渡さんは病魔との闘いで内面の強さを積み上げて行った。年輪を重ねるにつれて、それが幅広い役どころにつながっていた。

 2004年には肺炎を患い、15年には急性心筋梗塞での緊急手術から復帰。肺気腫やぜんそくも弱音を吐かずに闘い続けた。そこには、仲間を支えるためにも絶対に負けないという男としての矜恃(きょうじ)があった。

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