「下町ロケット」“怪演”反響の徳重聡 40歳の誓い「精神的な核の部分を強く太く」一家の大黒柱の自覚

[ 2018年11月4日 07:30 ]

徳重聡インタビュー(下)

日曜劇場「下町ロケット」で孤高のエンジニア・軽部を“怪演”し、新境地を開拓した徳重聡。40歳になった思いを明かした(C)TBS
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 TBS日曜劇場「下町ロケット」(日曜後9・00)で孤高のエンジニアを“怪演”し、さわやかなイメージを一新する新境地が反響を呼んでいる俳優の徳重聡(40)が今年7月に不惑を迎え、その心境を語った。2000年に新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でグランプリに輝いて芸能界入りしてから18年。「自分が思い描いていた40歳より、まだまだ未熟」「まだ半人前にも」と内省。「精神的な核の部分を強く太くして実行に移していかないと」と石原プロの“原点”と言えるメッセージ性あふれる作品への出演、製作に意欲を示した。そのストイックな姿勢の裏には、14年に結婚、16年にパパになった一家の大黒柱としての自覚もあった。

 立正大学在学中、就職試験も受けていたが、新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でグランプリに輝いて芸能界入り。テレビ朝日「弟」「熟年離婚」、TBS「渡る世間は鬼ばかり」など数々の作品に出演してきた。

 今年7月に40歳。メンタル面を鍛えることも兼ね、週2〜3回の「45分間走」を始めた。

 高校、大学とサッカー部。1996年、静岡市立高校3年の時にはFWとして高校総体・静岡予選決勝まで快進撃。決勝の相手は当時2年の元日本代表・小野伸二(39=札幌)を擁した清水市商。0―2で敗れたが、その後、清水市商は全国高校総体で日本一に輝いた。

 「走るだけのトレーニングは当時から一番嫌いで、今まで体を絞る時は筋トレやサッカーをしてきたんですが、40歳になって精神的に弱くなるかもしれない。一番苦手なことをやっておこう」と思い立った。調子がいい時は45分で10キロ走れるという。

 そして「自分が思い描いていた40歳より、まだまだ未熟。そこは非常に残念です。足りない部分?まだまだ人として未完成すぎる。まだまだ人として弱い。まだまだ(手を胸にやり)ここに核がない」と己に厳しい言葉を向け「石原プロという明確なビジョンがある会社にいるから、まだ何とかなっている。その精神の部分をもっと学ばないといけないと最近、本当に痛感しています」と打ち明けた。

 石原裕次郎さんが設立した「石原プロモーション」は、もともと映画製作会社。「太平洋ひとりぼっち」(63年)「黒部の太陽」(68年)「栄光への5000キロ」(69年)など、実話を基にした作品も世に送り出した。

 「太平洋ひとりぼっち」は62年にヨットによる太平洋単独横断航海に成功した冒険家・堀江謙一氏(80)がモデル。「黒部の太陽」は63年に竣工し、当時“世紀の難工事”と言われた黒部ダム建設を描いた。「栄光への5000キロ」は66年の東アフリカ・サファリラリーに優勝した笠原剛三氏の同名著書が原作。

 「ド派手な警察ドラマも石原プロですが、この国を支えてきた人たちや世界の舞台で戦った日本人を描いて『こんな凄い人がいる。だから自分たちも頑張ろう』と、ご覧いただく方々にエールを送ってきました。そういうメッセージをちゃんと届けようという明確なビジョンがあるところが素敵だと思います。自分のいる会社を褒めるのも変ですが、そういう部分をもっともっと大事に仕事をしていかないと。実話に基づいた作品は僕が入ってからも作っていますが、自分はそこに出遅れがありました。ただこの役柄を演じればいいということじゃなく、もっともっと考えて、掘り下げて、精神的な核の部分を強く太くして実行に移していかないと、理想の50歳には程遠くなるという焦りはあります」

 「下町ロケット」は「“一緒に頑張ろう”というメッセージがあるじゃないですか。まさに僕が求めている作品なんです。これからも、こういう作品に可能な限り参加したいし、ハートの部分を今まで以上に明確に持って取り組んでいきたいです」。製作側に興味は?と水を向けると「実話ものも、それ以外のものも、会社に提案したい題材はいくつかあります。これまで以上に強く言っていきたいですね」とプランがあることを明かした。

 高校の同級生で元会社員の女性と2014年12月に結婚。16年5月には第1子女児が誕生した。役者業に対するストイックな姿勢は、結婚と父親になったことも影響しているのか。「大きいと思います」とし、自分の父親とのエピソードを披露した。

 成人を迎える頃には、父親から「子どもを持って半人前、子どもを育て上げて一人前」と言われ始めていたという。「僕は男3兄弟の真ん中で、最初は3人に向けた言葉だと思っていたんですが、今思うと、僕にだけ言っていたんじゃないかと。いろいろな事情で子どもを授かることができない人もいますから、偏見に聞こえるかもしれませんが、そうじゃなく、妻や子どもが僕の成長に必要なことだと父は見抜いていたんだと思います。この仕事を始めてからも『いつ結婚するんだ』『いつ子どもを連れて帰ってくるんだ』と。父が孫の顔を見たいだけじゃないかと思っていたんですが、違いました。父の言葉は全く的を射ていると感じている段階。まだ半人前にもなれていない、半人前に向かっているところです」

 節目の年に出合った「下町ロケット」を糧に一段と飛躍。“一人前”への道を突き進む。

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