希林さんへ 裕也がラブレター 娘・也哉子は絶句「わだかまりがすーっと解けた」

[ 2018年10月1日 05:30 ]

樹木希林さんの葬儀で喪主を務めた夫の内田裕也(奥右)に代わりあいさつする長女也哉子
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 9月15日に75年の生涯を閉じた女優・樹木希林さんの告別式が30日、東京都港区の光林寺で営まれた。公私にわたって親交があった吉永小百合(73)ら芸能関係者とファン合わせて約1500人が参列した。喪主を務めた夫の内田裕也(78)に代わって娘の内田也哉子(42)があいさつ。希林さんが裕也からの手紙を大切に保管していた秘話を紹介して参列者の新たな涙を誘った。

 内田家の菩提(ぼだい)寺である光林寺で営まれた告別式。車いすで駆けつけた喪主の裕也は終始神妙な面持ちだった。

 体調が思わしくなかったため、参列者へのあいさつは一人娘の也哉子が代理で行った。

 「結婚するまでの19年間、母と私の2人っきりの家庭でした」と切り出すと、しばし言葉を詰まらせた。幼き日のさまざまな思いが頭を駆け巡ったのだろう。

 両親は73年10月10日に東京・築地本願寺で挙式したが、わずか1年半後に別居生活に突入。裕也が一方的に離婚届を提出し、逆に希林さんが離婚無効の訴訟を起こして結局離婚は成立しなかったという騒動もあった。裕也は大麻取締法違反などで3度も逮捕されたが、それでも別れようとしなかったのが希林さんだった。

 「幼かった私が“なぜこういう関係を続けるのか?”と問い詰めると、平然と“だってお父さんはひとかけらの純なものがあるから”と私を黙らせるのです」

 そんな関係を「ミステリー」と評した也哉子が希林さんの書庫から小さなアルバムを見つけたのはほんの数日前だったという。英国ロンドンの裕也から希林さんに届いたセピア色の手紙がきれいに貼られていた。日付は「1974年10月19日」とあるから、まだ悠木千帆と名乗っていた頃の話だ。

 「今度は千帆と一緒に来たいです。結婚1周年は帰ってから二人きりで…。この1年、いろいろ迷惑をかけて反省しています。俺の夢とギャンブルで高価な代償を払わせていることは、よく自覚しています。本当に心から愛しています」

 愛が詰まった手紙を読んだ也哉子は「許しがたい父と母の在り方へのわだかまりがすーっと解けていくのを感じたのです」と続け、斎場で希林さんの骨を裕也が持ち帰った愛の深さに思いをはせた。

 「唯一親孝行ができたとすれば本木さんと結婚したことかもしれません」と話した也哉子は「おごらず、人と比べず、面白がって平気に生きればいい」と母から贈られた言葉を参列者に紹介してあいさつに代えた。

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