「最期まで夏木陽介」友人の作家・山川健一氏が振り返る闘病生活

[ 2018年1月20日 05:30 ]

和歌山・高野山でのクラシックカーのイベント「ヴェトロモンターニャ高野山」に愛車ジャガーSS100を駆って出場した夏木陽介さん(右)と山川健一氏
Photo By 提供写真

 俳優の夏木陽介(なつき・ようすけ、本名阿久沢有=あくざわ・たもつ)さんが14日に腎細胞がんのため81歳で死去していたことを受け、19日、俳優仲間や関係者にも悲しみの声が広がった。友人の作家・山川健一氏(64)は、スポニチ本紙取材に夏木さんの闘病生活を振り返るとともに「明るい名前の通り太陽のような人。夏ちゃんらしい最期でした」と悼んだ。

 夏木さんとは趣味の車を通じた友人だったという山川氏は「昨年11月13日に仲間と車で集まった。モスグリーンのミニクーパーを自分で運転してきて、本当に元気だった。周囲の人間からするとあっという間」と突然の訃報だったことを明かした。

 山川氏によると、数年前に腎細胞がんを患い、手術で腎臓を1つ摘出した。昨年10月に肺炎で入院。11月に胸椎のがんが発見され、脳にもがんが転移していることが分かり集中治療室に。12月27日から意識が戻らないまま1月9日に個室に移り、14日に静かに息を引き取ったという。

 親族には「俺の悪運も尽きたか」と軽口を飛ばしていたそうで、山川氏は「弟さんや僕たちは“自宅の介護ベッドをどうしようか”なんて話もしていましたが、介護されることもなく逝ってしまった。最期まで夏木陽介らしい生き方でした」と語った。

 87年に夏木さんが監督を務めた「チーム三菱・シチズン夏木」でパリ―ダカール・ラリーに参戦し、総合3位となったドライバーの篠塚建次郎(69)も突然の訃報に肩を落とした。「夏木さんは僕より一回り上で、その世代の人は車が好き。その象徴みたいな人だった。最近もクラシックカーレースに毎年誘ってくれた」と語り、「おいしいものが大好きで、2人でニジェールで食べたアラビアータ、マルセイユで食べたブイヤベースが思い出に残っている」と若き日に世界を転戦した思い出を振り返った。

 芸名の通りに、「太陽のような明るさ」(山川氏)で、最後まで好きな車や人生を楽しんだ夏木さん。夏木さんの所属事務所は「“仕事は楽しく、遊びは一生懸命に”を貫いた幸せな人生でした」とした。葬儀・告別式は故人の遺志により密葬で執り行われる。

 ◆夏木 陽介(なつき・ようすけ)1936年(昭11)2月27日生まれ、東京都八王子市出身。明治大学在学中にモデルとしてスカウトされ、58年の卒業後に東宝に入社。同年、映画「美女と液体人間」でデビューし、石原慎太郎氏が監督した「若い獣」や黒澤明監督「用心棒」など話題作に出演。ドラマ「青春とはなんだ」「荒野の用心棒」「Gメン’75」などでも活躍した。ラリードライバーとしても知られた。

続きを表示

2018年1月20日のニュース