高橋真梨子 歌声の原点は母への複雑な思いと父とのつらい別れ

[ 2016年6月17日 21:47 ]

高橋真梨子

 歌手の高橋真梨子(67)が、NHK・Eテレ「団塊スタイル」(金曜後8・00)に17日、ゲスト出演。幼少の頃からの母親への複雑な思いや、父とのつらい別れについて、当時の心境を話した。

 1949年、まだ戦争の爪痕が残る広島で、一人娘として生まれた高橋。父親は、ジャズバンドでサックス奏者として活動するミュージシャンだった。高橋が1歳半のころ、当時ジャズが盛んだった博多へと家族で移り住む。家では父がフルートやギター、太鼓などを演奏していたのを覚えているという。しかしその数年後、父親が難病に侵され、両足を切断することに。

 「苦しんでいる父、痛がっている父…激しい痛みで、新聞紙を顔にのせて泣いていた父の姿を覚えている」と話す高橋。母親は水商売をし、その痛み止めに使うモルヒネ代を稼ぐのに必死だったという。これ以上迷惑はかけられないと1人広島に帰ってしまった父親。その後、離婚することになり、親権は裁判で争われたが、両足を失っている父は高橋を引き取ることもできなかった。

 「母との思い出は……いい思い出は、あんまりなかったんですね。いつもいつも一人ぼっちで…」そう伏し目がちに話す高橋。父親が病気に苦しんでいる頃からずっと、妻子ある男性との恋愛に夢中だった母親。孤独の中で支えになったのは、音楽だった。「恋のバカンス」が流行していたザ・ピーナッツに憧れ、中学生で「歌手になりたい」と父に打ち明けた。

 大好きだった父親には、年に数回広島まで会いに行っていたという高橋。その時は、「いいんじゃないか」と言われた。ただし、「ポップスとかアイドル的な歌手は、僕は望まない。歌うなら、難しい曲…スタンダードジャズとか、名曲みたいなものから始めた方がいい」とアドバイスされたという。それが、その後の高橋の音楽活動の原点となった。その後、高橋が15歳の時に、父親が37歳で他界。16歳で、歌手になるために上京することになる。

 高橋を公私ともに支えてきたミュージシャンの夫・ヘンリー広瀬氏(72)は、「40年も彼女と音楽をやってきて感じるのは、彼女の持っている寂しさとか孤独感とか…それを何とか表面に出さないで、歌に託せる。それが魅力なのかもしれない」と語る。高橋は、「自分では全然わからない」と言って明るく笑った。

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