宇多田ヒカル「お母さんに会いたい」幼い頃から寂しさ

[ 2013年8月24日 06:00 ]

1983年6月30日、ニューヨークから帰国する藤圭子と長女・宇多田ヒカル

 最愛の母・藤圭子さんを失った宇多田ヒカルは、沈黙を貫いている。宇多田は幼い頃から離婚と結婚を何度も繰り返す両親をいつも黙って受け止めてきた。しかし、3年前に音楽活動を休止する直前のラスト作品で「お母さんに会いたい」と歌っていた。天国へ旅立った母への思いは語らずとも、多くの歌に込められている。

 宇多田が2010年8月に活動休止を発表してからちょうど3年。今年4月から月に1度のラジオDJを始め、気分も乗ってきた中での突然の悲報。藤さんにどんな理由があったにせよ、愛娘の復帰への機運に明らかに水を差すことになった。

 でも、それは今に始まったことではない。00年6月。宇多田の初アルバム「First Love」が800万枚を超える空前の売り上げを記録し、米コロンビア大学に合格するなど“宇多田フィーバー”に沸いていた中、照實氏との離婚を決断。5日後に翻意したものの、宇多田のショックは計り知れなかった。

 藤さんと照實氏が繰り返した結婚と離婚は計6、7回とされる。宇多田に「Be My Last」(05年発表)という曲がある。その中で「母さんどうして 育てたものまで 自分で壊さなきゃならない日がくるの?」と、何度も離婚する藤さんに訴えるように歌っている。

 そんな、つらく寂しい思いは幼い頃からだった。ニューヨークでの生活を安定させるため、日本で場末のキャバレーなど地方回りをして稼ぐ藤さんは、娘の知らぬ間に仕事へ出掛けていた。宇多田は「Letters」(02年発表)で「いつも置き手紙 ああ夢の中でも 電話越しでも ああ声を聞きたいよ」と歌っている。

 宇多田の周辺は「彼女はママのことが大好きで、歌手としても最も尊敬していた」と語る。でも、そんな思いはいつも、うまく届かなかった。

 宇多田の休業前ラストアルバムに収録されている「嵐の女神」(10年発表)は、タイトルそのものが藤さんだ。「嵐の女神 あなたには敵(かな)わない」と歌い始め「お母さんに会いたい」と強く求める。「分かり合えるのも 生きていればこそ 今なら言えるよ ほんとのありがとう」と、まるで今回のことが起こるのを恐れていたかのような歌詞もある。だが、その声はもう届かない。

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