耐久のエース冷水「どうしても投げたかった」 雨にも痛みにも耐えた

[ 2024年3月21日 05:00 ]

第96回選抜高校野球大会第3日・1回戦   耐久1-7中央学院 ( 2024年3月20日    甲子園 )

<中央学院・耐久>アルプスの大応援団にあいさつする耐久ナイン(撮影・大森 寛明)
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 春夏通じて甲子園初出場の耐久は、初戦で敗れた。校名のごとく、強風吹き荒れる極寒の環境にも、雨が降る春の嵐にも、痛みにも耐え続ける苦難の連続。7回7失点で降板したエース右腕の冷水(しみず)孝輔は「私立ではなくても甲子園で戦えるのだと自信になりました」と下を向かなかった。

 冷水は7回2死一、二塁の打席で右肘に死球を受けた。激痛でその場に倒れ込み、臨時代走が送られる緊急事態。「限界だったけど、どうしても投げたかった」。志願で続投し、7回を投げ抜いてからマウンドを譲った。

 ペリーが黒船で来航する1年前、幕末の嘉永5年(1852年)に創立された伝統校として話題を集めた。聖地出場を待ち続けていたOBら約3000人の大応援団がバス57台で駆けつけ、一塁側アルプス席を埋めた。同校に応援部はなく、チアリーダー37人を含む生徒55人が有志の応援団を結成。近大の応援団から何度も直接指導を受けて大会本番に臨み、雨に打たれる耐久ナインを勇気づけた。

 同校OBでもある井原正善監督は、伝統校の強みを「OBの方々が多いこと」と証言する。その言葉通り、昨年の12月末からは、すでに定年を迎えた約15人の卒業生で特別後援会を結成。学校の教室を事務所とし、寄付金集めなどを一手に引き受けた。その事務所には、寄付金を手渡す人が大会直前まで途絶えなかった。聖地出場を待ち焦がれていたのは、地元の人々も同じだった。

 「次は最後まで投げたいです」と決意した冷水は、右肘の痛みで甲子園の土を持って帰ることができなかった。聖地に戻らなければいけない理由ができた。 (河合 洋介)

 《近畿勢4連敗》第2試合の京都外大西、第3試合の耐久が敗れたため、18日の田辺(和歌山)、近江(滋賀)に続いて近畿勢4連敗となった。近畿勢が大会初登場から4連敗したのは、13年に履正社(大阪)、大和広陵(奈良)、龍谷大平安(京都)、京都翔英(京都)、報徳学園(兵庫)が5連敗して以来11年ぶり。

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